いずみ



2007年5月28日(月)  企画の再開

 「ほんの弾みの一瞬が、人生を大きく違うものに変えてしまう」
持論の一つですが、今日は久々に心境を書いてみたく成りました。
 元々この企画は、知人の運用マネ−ジャ−を供養しようと善根功徳の行として始めたものですが、最近では為替取引と何も関係のない多くの方々も、ご覧の様で、ある意味、私自身救われている思いがします。

 今月初め諸国行脚をした際の話、数年ぶりに兄弟子と再会しましたが、大層叱られ、私は一言も無いまま唯々頭を垂れるのみでした。
 人が前向きに何も気にせず歩むのは実に簡単で、自身の歩いてきた道、過去の栄光や後悔を引きずり振り返りながら生きるのは、更にもう一つ簡単な事です。
左右を見ながら歩むのは、少々難しいかもしれませんが、世間擦れし慣れてしまえば然程の事はありません。
しかし、己の背中を見ながら歩む事は誰にも出来ないのです。
その背中が物言わず語るもの、それは、その人なりの値打ちとでも言うべきものです。
『自分の気付かない背中が何を語っているのか?』
自身の後姿は、自身には見る事も聞く事も難しいのですから、誰か真実を誠実に教えてくれる人が必要と成ります。
これをしてくれるのは、師匠、親兄弟、伴侶、先輩後輩、上司部下、友人知人、様々な状況により、違いはあるでしょうが、互いに深い絆で結ばれ、自分を大切に思ってくれる存在であり、それに足る自身が存在している場合に限られます。
つまり、叱ってくれる人があると言うのは、見えない背中を示してくれる本当に有難い存在であり、自らの成長と発展には欠く事のならない存在です。
値打ちを感じさせない生き方をしていると、この様な存在は現れてきません。
逆に言えば、どれだけ本音を語りあえる存在があるのか、どれだけ自身に受け止められる度量があるのか?
あるがままを受け入れ自身の真実を映し出す鏡と向き合えるのか?
活きるとは、食べてウンコをしているだけでは、何も意義がないのです。
私自身、兄弟子から諭され自らの為すべき使命と未熟な点を再確認する事が出来ました。
 昨今の世間では、生き死にの話題が多く見受けられますが、このような事を口にする者の殆どが自身の背を見ていません。
そして、他人の背でさえ真実を見ようとしていません。
目を叛けたままで得られるものなど何も無いのです。

 私は『止まっていた時計が今動き出した』このような心境でいますが、今朝、ZARDの坂井泉水さんの訃報を聞き、私も命の時計が永遠に止るまで、自らの使命を全うしようと思います。
彼女の供養の為、企画を再開します。



2007年6月1日(金)  ZARD 坂井泉水との出会い1  No.90

 今回の企画再開に当り、多くの方々から様々な意見を頂戴しましたが、もう少し話を進めてみたいと思います。
私は、自ら彼女との約束を破る事にしますが、もし、私の所業が過ちであるのならば、甘んじて仏罰を頂戴致します。

 「一期一会」、彼女との出会いは、その様な表現がピッタリかも知れません。
今から10年近く前、関西遊学中に起きた出来事、寺務所から、私に若い女性の面会人があるとの連絡がありました。
私には全く心当たりが無いので、『妙な商売の押し売りかもしれない』などと思いながら、寺務所に向かいましたが、彼女を見た瞬間に心臓が止まるかと思いました。
ジ−パンにジ−ジャン、スニ−カ−、髪を後ろに束ねた姿でしたから、開口一番、
「CDのジャケットから、抜け出て来たのですか?」と尋ねた所、
彼女は、「そうかも知れません」と笑いながら答えました。
幸い彼女の顔を知る人は皆無でしたから騒ぎに成らず済みましたが、こちらは大慌て、直ちに応接間へ案内し茶と菓子を振る舞いました所、彼女からファンレタ−に対する謝辞を頂戴しました。
普通は、読まずに捨てられる程度の物なのでしょうが、私の手紙には神仏の御加護を頂けたものと思います。

彼女からは、『外柔内剛』、私と対等に渡り合うだけの気魄が伺え、世間で見られている様なイメ−ジの人とは多少違うのでは無いか?との印象を受けました。
私は彼女に、お茶を勧めながら、
「ここは、誰でもが秘めている胸の内を分かち合う所ですから、お互い、何処の誰などと名乗り合う野暮な真似は止しましょう。
 名前や体裁など何も必要ありません。
 ただ、誠実の一点があれば、それで良い場所です」と言いましたら、彼女から、
「私達は、似ている所があります」との返事がありました。
何故かと言えば、私の服装は、学生の時から現在まで、ジ−ジャンにジ−パン(リ−バイス501ボタン式愛用)であり、松田師匠とも、この格好で会いましたし、私を知る人ならば、大概は見て御存知かと思います。
このジ−ジャンには、学生時代に尊敬した先輩との思い出があり、私もこの先輩の姿を真似たまま今日が過ぎている為です。
それに、もう一つ『真実の愛とは何か?』、曲にして伝えて欲しいと哀願した事が、彼女には大きな切っ掛けと成った様です。

正直、私には、『真実の愛とは何か?』よく解りませんでした。
様々な宗教での解釈や言語学的意味あいは、あろうかと思いますが、社会通念上での愛は理解している積りです。
私の持説は、『人の心は移ろうものであるのだから、愛は幻想であり憎しみとは背中合わせである』との仏教上における解釈をそのまま支持していました。
しかし、「真実の愛とは何か?」と現実に訊ねられた時、その人を目前にして、私には答え様が無かったのです。

何やら胸に熱く込上げて来るものがあるので、諸々の事情は次回以降の掲載にします。
多くの人に心が伝わる事を願って止みません。



2007年6月3日(日)  ZARD 坂井泉水との出会い 2  No.91

 矢張り、簡単に済ませるのではなく自らの懺悔を込めて、話を進める事にします。
この掲載が終わるまでは、全ての活動を中止し掲示板を書き続けます。

以下前回の続き

 そもそも事の起こりは、実に馬鹿げた話が、切っ掛けです。
私が参道にある、たこ焼きの露店で、たこ抜きのたこ焼き(単なる粉焼き)を食べていると、椅子の隣に、物凄く不気味な化粧をした、オカマが、
「あ〜ら、和尚様、たこ焼き〜美味しそう、お飲み物持ってきますわネ」などと言いながら、コ−ラを持って来て、隣に座りました。
本当は、「たこ焼きが不味くなるから、向うへ行け!」と言いたかったのですが、ペラペラ喋り出し取り付くヒマもありません。
たこ焼きも食べ終わり、何とかその場を逃げたかったのですが、腕を掴んで離さず、かと言って蹴り倒す訳にもいかないので、
仕方なく、身の上話を聞く羽目に陥りました。

話の中、このオカマは失恋したそうで、恋人の男が他の女の所に去り結婚するのだそうです。
私に言わせれば、単に男が正気へと戻っただけの事ですから、寧ろ望ましい事だと思うのですが、当人からすれば、同じオカマ種族に盗られるよりも女性に盗られる事の方が、心は遥かに傷付くのだそうです。
この時、オカマに、「和尚様、真実の愛って何なの〜!!」と激しく迫られた事に始まります。

『オカマに真実の愛は芽生えるのか?』
私には考えるまでも無い事であり、読者の皆様にも様々な考えはあるでしょうが、大凡の考えは同じだと思います。
そこで、私は
「オマエな〜、愛ってものが、どんなものか知ってるのか?、俺は愛なんてものは信じん。
 そんなものは、ゴキブリのウンコと同じで、何の役にも立たん!安物の香水以下、プンプン臭いだけだ。
 それでも愛が欲しいって言うなら、愛は受け取るものじゃなくて、与えて初めて値打ちがあるってもんだ!!!」
こう言い放ち立ち上がると、オカマは口をポカンと開けたまま呆気に取られていました。
それまで愛について考えた事はありませんでしたが、オカマ程度の気の迷いを断つ事ならば、これで十分だと思いました。
それはそうと、『真実の愛って何だろう?』 私の心中に疑問を感じ始めたのです。
そこで、様々な方面に『真実の愛とは何か?』聞いて見ましたが、何となく解った様な解らない様な、要するに私の知る範疇の事しか出てきませんでした。
この問題は、いざ、訊ねられて見ても、なかなか答えに詰る奥深い課題です。

この一件以来、オカマ達が寄って来ては、たこ焼きやジュ−スを接待してくれる様に成りました。
しかし、オカマに物をたかっているなどと、直ぐに陰口を言われる様に成るから嫌な思いをするので、接待を断ると皆は息を呑んだ様に暗い顔をするので、仕方なく御馳走になりながら、話を聞く事にしました。

実の所、オカマ達は、自分達が他人からは受け入れられず、まともに相手にされない事も況してや他人から愛など与えて貰えない事も初めから全て承知しているのです。
自ら望んで選んだ道だとしても一人で生きて行くのは辛い、少しで良いから誰かに損得なしで気にかけて欲しい、ただそれだけ、
裏切られたり、踏みつけられたり、世の中の底を這うように生きていても、それでも顔に出さず陽気に振舞う者達をクズとして一蹴する事は、私には出来なかった・・・

そんなある時、オカマ達が店に来てくれなどと言い出し、特別ショ−を用意するとの事でした。
そこで、好きな歌手は誰か聞かれましたが、流石に店までは行く気に成れません。
しかし、話の流れとして、「森高千里の大ファン」と答えた所、「エッチ〜、イヤラシイ〜ゎ」などと黄色い声が飛び沸き立つものですから、流れを変える為、「お前達は誰のファンなんだ」と聞きましたら、「イズミちゃん最高よ〜、胸が時めくゎ〜」などと口々に言っていました。
私は、テッキリ『泉谷しげる』の事だと思い、「そうか〜泉谷しげるなんて、お前達シブイな〜」と言いましたら、周り中からどっと笑いが起き、人だかりが出来て、大変恥ずかしい思いをしました。
わいわい言いながらオカマ達が、「揺れる思い」を歌いだし、始めてポカリ・スウェットのCMソングだと気がついたのです。

それから、しばらくして、オカマの親分が、「揺れる思い」のアルバムをプレゼントしてくれ、曲も聴きましたが、ジャケットを見たとき感じ取った坂井泉水の第一印象は、『何て影のある陰気臭い女だろう』と思いましたが、オカマ達は口々に、「イズミちゃん、とっても苦労人ょ〜」などと彼女の内面を見抜いていました。
そうかも知れないが、私の『ありがた〜い話』よりも、陰気臭い女の歌の方が、多くの心に染み渡ると言うのですから、複雑な思いはあります。
とは言うものの時代が必要とした人なのでしょう、それは、仕方がありません。
しかし、私の様に人の生き血が飛び交う生き地獄と向き合う者からすると『何がどう良いのか?』さっぱり解らないのです。
そこで、発売されているCDのアルバムを全て買い、聞き比べましたが、作詞よりも作曲で助けられている印象が強く、所詮、薄っぺらで魂の篭っていない奴の作品なんて、『藁の案山子と同じ』、そう私は思いました。
それでも彼女の作品により、多くの人々が感銘を受けるのですから、彼女に日本中の人々に魂の揺らぎを起こさ共感を与えさせれば、救いを得られる人も多少は増えるだろう、そう考えたのです。
そこで、「和尚様、真実の愛って何なの〜!!」と激しく迫ってきたオカマに、お前達のアイドル、イズミちゃんにファンレタ−を書いて『真実の愛とは何か?』、曲にして伝えて欲しいと頼めと言いましたが、オカマは、大スタ−が取り合う筈無いと嫌がるので、仕方なく奥義の一つを教えファンレタ−を書かせました。
人の心と心は必ず波紋を打つもので、丁度、湖に石を投げ、湖面に石が触れると水面に波紋が広がるのと同じ感じです。
魂が軽薄だったらしく、結果は全く現れませんでした。
単にファンレタ−を届けるだけならば、プロダクションの社長が直接取り次いでくれる様な筋に頼めば簡単ですが、それでは、邪道、本来の崇高な思いは伝わりません。
矢張り、私がやらなければ駄目なのでしょう、私としては、森高千里のファンなので躊躇いはありましたが、後は彼女の器の程度次第なので、全てを神仏の判断に委ね彼女の魂にノックをしてみました。

矢張り、彼女は現れましたが、とんだ修羅場に化すとは思いもよりませんでした。

次回に続く



2007年6月5日(火)  ZARD 坂井泉水との出会い 3

 前回の続き

 私は初めから、もし本人自身に愛の迷いがあるとすれば、ヒントを求めに来ると感じていました。
何度も書きますが、『真実の愛とは何か?』、実際に、この問題を探求するのは実に奥深い課題です。
概念的な在り来りの説明をするなら然程難しいものではありませんが、その情景を詩に描き、多くの人々に魂の波紋を起こさせ共感を呼び込もうと言うのですから至難の業です。
『あ〜ちすと』からすれば、新境地が開け作品の幅と奥行きも広がり、様々な効果が期待できる画期的な作業と成り得え、歌手活動だけでなく、私生活の充実にも『真実の愛』は大切だと思います。
ただ、愛と言うのは恐ろしい副作用もあり、扱い方を誤ると特定の物事や人物に執着してしまい苦悩だけを生みます。
この時、単なる自己欲の情念を『真実の愛』と勘違いしたまま、多くの人々に魂の波紋を起こさせ様とすれば、反作用を生じてしまい、やがて、その咎は自身に及び、一番大切なものを失う事に成りかねません。
彼女の選択は、別として、一応の手掛かりは示しておきましたが、『真実の愛などあろう筈もないが・・・』としてありましたので、彼女の反応を楽しみにしていました。

 初めて実物の彼女を見た瞬間に心臓が止まるかと思ったのは、大スターの彼女が一人で来てくれたからではありません。
キリッとした覚悟の姿には、女修羅が戦を挑みに来た様相を示していたからです。

 少し横道に逸れますが、空想では無い人間界においての『修羅の相』について説明しておきます。
 世間で良く言われているのは競争心や闘争心、嫉妬心が強い人の事を指しますが、修羅の相を持つ人とは、
 更に、観念での戦いに優れ、相手の腹を探るのに長けているので、嘘や誤魔化しは、なかなか通用しません。
 殺気は、観念の過程で発生します。
 通常の人には判断出来ないでしょうが戦いに入る際、目の色が違ってきます。
 女の修羅は、執念深く、自分からは納得するまで戦いを止め様とはせず、持久戦に強い特徴があります。
 その内面の激しさは一筋ならでは手に負えず、時には、その情念より分別を失い己の身を滅ぼしてしまう程です。
 この様な人を相手にするには、適度にはぐらかしながら話を進めるのが得策です。

一目見て、「まいったな〜、程々にしておこう!」、この様に思いましたが、冗談で迎えて勤めて明るく振る舞いました。
応接間に案内する際、背を向けるとやんわりと闘気がします。
こちらの腹を悟られない様に勤め、取り敢えず応接間に着くと挨拶もそこそこに済ませ、お茶を勧めましたが、最初から「私達は、似ている所があります」、と彼女は切り込んで来ました。
この手の人は、口数は少なくても要点を押さえながら、進めて来ます。

 *以下、記憶にある会話のみ記載

私:「いや〜、そんな事ありませんが、大凡は手紙で書いた通りです。
時間も無いのに、わざわざ来て戴かなくても手紙か使いを遣して下されば、不明な所は説明しましたのに〜
  話の中で、哲学的で解り難い所があったら何でも聞いてください、大した御手伝いは出来ませんが、良い曲が出来る様、お祈りしています」
彼女:「・・・逃げてませんか? 私に愛なんて描けないと思ってますよね?・・・」
私:「逃げず誠実に答えます。
  逃げてる訳ではなく、戦いの覚悟を決めて来ている人と激突するのを避けています。
  愛が描けるかどうかは分かりませんが、愛に泳ぎ疲れてたら、愛のリポビタンDでも飲んだ方がいいでしょう。
  ただ、『あ〜ちすと』なら愛のテ−マは、避けて通れませんよね、でも、愛を描くのって本当は相当に難しいですよ。
  それに、私生活でも愛は必要でしょう。
  何をどう選択するのかは、自由ですから好きにしてください。
  手紙にも書きましたように、愛を扱うのは危険でもあるから十分注意したほうが良いと思います」
彼女:「本当は、誰のファンですか?」
私:「森高千里です」
彼女:「それで、どうして私に教えてくれるのですか?」
私:「揺れる思いは、私の心にも響きました、久々に好い響きでしたよ、その御礼です。
  それに、多くの人達から愛されているのだから、皆の期待に応えるのも一つの勤めでしょう。
  私も良い歌をたくさん聞きたいと思っています。
  手紙持ってきているでしょう?あれ返してください。
  あなたには、もう不要だ。
  それに手紙の内容と今日の出来事は、絶対誰にも秘密、死ぬまで明かさないでくださいよ。
  もし、明かせば浦島太郎同様、大切なものを失いますからね!
  本日は、ご苦労様でした」

お茶をだしてから、そそくさと5分以内で話を済ませてしまい、手紙を受け取り「やれやれ終わったか〜」と思ったのですが、
矢張り彼女は動く様子も無く、じっと私を見つめたままでした。
私:「仕方が無い・・・折角、私の為にその格好をしてきてくれたのだから、誠意を有難く頂戴して、腹を割って話しましょう。
ただし、論争は無し、感情論をぶつけてきても折角の会談が直ぐ修羅場にかわりますから・・・
  似たもの同士の修羅が二人、顔をつき合わせているのですから、既に修羅場ですよ!
  それで、『真実の愛』に、大体どのようなイメ−ジを持っていますか?」
彼女:「・・・」

矢張り、いざとなると?

次回に続く



2007年6月7日(木)  ZARD 坂井泉水との出会い 4

 前回の続き

 恐らく彼女には彼女成りの答えはあると思いましたが、私から口火を切りました。

私:「私ね、幾ら考えても『真実の愛』なんて、特殊で大げさなもの無いと思う。
  どんなに愛につながる言葉を並べ続けても、『何気ない思いやり』に勝るものってあるのかな〜って?
  自分自身、一番嬉しい事だし、知らないうちに感謝されているし、イズミちゃんの今日のその格好、私への気遣いだよね?
  心の凍えている私には心温まりますよ。
  人はそれぞれ、立場によって好みは変わるし、その日の気分でモノの見方は変わるけど、気遣いって何時でも何処でも誰でも嬉しいものだよ。
  イズミちゃん歌手なんだから、いろいろな人の立場にたって、優しく言葉をかけられるだろ?
  多くの人に思いやりを伝えられるなら、それが一番素晴らしい詩だと思う。
  『好きです、くっつきました、別れました』
  これって、心の詩じゃなくて天道虫の交尾観察日記と同じ。
  『摘み食い中の愛です、すきだから耐えてます、そのうち何とか成るかも知れないから頑張ります』
  こんなもの単なる恥知らずな馬鹿女の狂想曲でしょ・・・何か価値あるの?他人に歌って聞かせる話じゃないね!

  子供のころ、月曜の7時半から一休さんやってたよね・・・見てただろ!
  その時、笹川さん、お父さんお母さん大切にしようって言ってたけど、親の愛って『真実の愛』だよ!
  親の愛に対して報いられないような奴が、どうして他人から特別な愛を得られるの?・・・有得ない話だね。
  27歳の時、笹川さんに会って、物申した事があるけど、そしたら、今後、君とは対等の付き合いをしようと言ってくれた。
  横にいた、右翼の大物は青くなって冷や汗びっしょり掻いていたけど、笹川さん凄く嬉しそうだった。
  そしたら、玄関まで見送りに来てくれて、堅い握手して、何日かしたら激励の手紙までくれて、食事も誘ってくれた。
  あれだけの大物が、偉そうにもせず、小僧に対して丁重な敬意を払えるのだから、肝っ玉が違うよ!
  笹川さんの言葉、魂が入っているから、心が振るえた、愛も入っていた、温もりで溢れていた。
  後から気がついたけど、若者を育てようと胸を貸してくれたんだな〜って! これも懐の深い親の愛だ。
  ・・・イズミちゃん親の愛、粗末にしてないか?

  何時も思うけど、魂と魂の触れ合いって、必ず何らかの愛を生む!
  心から心へ伝わって行くもの、それが愛だと思うけど・・・
      
  正直に言うけど、イズミちゃんの手は穢れてる・・・
  けど『思いやり』を祈りを込めて、皆の魂に投げかけてあげれば、人は必ず共感の波紋を打つ、それが大きなうねりに成って、人々の中に思いやりが満ちてきて、何時の日か優しさで世の中を変えられる筈だよ。
  その時、手を穢してでも歌手をして良かったな〜って、心から思える日が来ると思う!!」

この時、彼女の目からは、大粒の涙が落ちました。

その後、彼女の実家の近くで、バイク事故を起こして死に掛かった事やら諸行無常やら色々と話をしました。
彼女にとっての『真実の愛』とは、
「ありのままの全てを受け止められる事」だそうです。
彼女には、受け止められずにいる苦悩があったのかも知れません。

帰り際、不動堂から、りんごを3個ほど下げて、「赤い果実を見たら、今日の事を思い出せ!」と言って渡しました。
彼女は笑いながら、「また、会ってください」と握手を求めてきましたが、私は
「心の時間が動き出し、純粋な心で詩が歌えるようになったら、それを曲にして欲しい。
 何時も遠くから見守っているから、それを感じ取れたその時は手紙を書く、その時は喜んで会いましょう。
 全面的に協力するよ」
この様に堅く約束を交わし握手をしました。
半年後、寺務所で『約束守っています』と、女性からのメモを受け取りました。
それから程なく、私も関西を後にしました。

 それから月日は流れ、四年前、彼女の心の時計は動き出したようです。
恐らく、私と会った時から、その後の五年の間に、彼女は計り知れない苦悩を抱えていたに違いありません。
もし、三年前に出たアルバムを聞いていれば、彼女に手紙を書き、この度の様な事態は避けられたかも知れません。
否、絶対に防いで見せました。
先月、中ごろ、彼女のCDを聞き、メッセ−ジに気づき手紙を認め様とした矢先に、彼女の訃報を耳にしました。
後1ヶ月待っていてくれれば、少なくとも彼女の最後を看取る事は出来たと思います。
彼女は、三年間と言う間、新しい境地を開くため、ずっと私を待ち続けていたに違いありません。
私は、祈師としての勤めを疎かにし約束を違え掟に背きました。
私自身、人の心を忘れていた報いを受けたのです。
心を閉ざし過ぎていました。
ただ、彼女自身の所業は如何だったのか?
今となっては、全てが致し方の無いことです。

彼女への祈りは、生涯奉げる積りです。
この度の事を深く反省し今後のサイト活動の方針も見直し、もっと多くの人の心に届くような活動を心掛け、企画変更を行いたいと思います。
少なくともこのサイトを御覧の皆様との御縁は大切にします。

(6月8日追記)
 多くの方々から、慰めの御言葉を頂戴致しました。
心から御礼申し上げます。
彼女の死により、今まで心に停めていた志を貫く決心が堅く出来ました。




2007年6月16日(土)  ZARD 坂井泉水との出会い 5

 この度の出来事で久々の感傷に浸り、私にとって非常に良き薬と成りました。
常々、このような所で大層な事を言っていても、私自身の行いに不足がある様では、全く申し訳の無い次第です。
今後は、身を慎み精進を怠らず日々の鍛錬を重ねて参ります。
サイトの運営内容等は商業的な要素だけでなく、人生観や思想、信条なども積極的に取り入れ掲載致します。

 様々なメ−ル等も頂戴しましたが、何故、私がここまで彼女の死を嘆き悲しむのか、その理由も書き記しておきます。
前回までの話は経緯を掻い摘んで説明したに過ぎませんが、これから記載する彼女との会話は、人生訓としても十分に役立つものと思います。


 彼女が訪ねてくれる数日前の話、散歩をしていると中学生の少女に呼び止められ相談に乗って欲しいと頼まれました。
「家が借金で貧乏だから、お客を取ります。
 お客は、凄く痛い事をするので苦しくて耐えられません。
 ビデオにも出ました。
 妹も中学に成ったら、お客を取ります。
 可愛そうなので、妹を助けて下さい。」
との事で、彼女は、近所のオバちゃんが、私に相談すれば、解決してくれると言ったのを聞いて訪ねて来たそうです。
私も立場上、事情を聞いてしまえば放っておく訳には行きません。
この様な話を聞く度に、切なくて胸が張り裂け、譬え様の無い怒りで満ち溢れ、心が治まらなく成ります。

これも世間の生き地獄を現す一片に過ぎませんが、近所でさえ見兼ねても助けられない様な複雑な環境下にある、
この様な少女をどうして、私が救えると言えるのでしょうか?
その様な事、到底無理な話です。
通常の場合は、警察か児童相談所に相談すれば概ね解決の道も開けるのですが、『世の中の必要悪』に組み込まれている場合は、行政でも解決は先ず不可能です。
現実に、親が自分の娘を売り物にしながら生計を立て、その少女を求め多くの男達が群がっているのですから・・・
恐らく、現場に携わる諸君なら、私が何を言いたいのか理解して戴けるものと思います。
世間知らずの人達は、薄っぺらな同情と軽薄な博愛主義に満ちていますが、世の中の闇には何の役にも立ちません。

私の選択肢は二つ、
@因果を含め少女に我慢させるのか?
A背後関係を一切無視して少女達に救いの手を差し伸べるのか?
どちらにせよ、少女達の心には癒える事のない深い傷を残し、将来に希望を与える事は相当難しい筈です。
しかも対応が悪く失敗すれば、この少女は鬼畜どもから、酷い折檻を受け二度と立ち直れ無く成ってしまう可能性が高く、仮に成功して少女達は助けられても、母親は二度と浮かぶ事の無い世界に突き落されるのは目に見えています。

それでも私は、「国士としての信条を果たすべし!」と自身に言い聞かせ、少女達だけは何とか助けようと背後に関係する連中との揉め事も想定し自身の死を覚悟しました。
そこまで行かなくとも行政が動かず、少女に危険が及ぶ様ならば、私が鬼畜の母親等まとめて天誅を下し自らの将来と引き換えに、『この少女達に未来を与えよう』、この様に考えていました。
ただ、私の周囲には、どの様な迷惑もかける訳には行かないので、全てを自ら背負い自決の準備を整えておき、誰にも相談せず、警察に赴いたのです。
幸い、担当してくれた警察官は、直ぐに保護した上で関係機関に手配をしてくれ、事はすんなりと運び、最悪の事態を避る事が出来て、私は心から安堵しました。
帰り際、警察官から「この子は、本当に運が良かった!」と言われた時、世の中には多くの救われない悲しみがあるのだと実感しました。
よそ者の無鉄砲な国粋主義者の荒法師が、血相を変えて相談に乗り込んで来たから仕方が無かったのかも知れません。
事情を考えれば、地元の者では危なくて手が出せなかったと思います。

彼女と初めて会い、この話をしましたが、彼女以外には誰にも話さず、今日まで自分の胸にしまい続けていた話です。
この様な事情が、私の心を乱していて、大スタ−として生きる彼女を素直に歓迎出来なかった一因でもあります。
私は、この胸の内を彼女に話した上で、
「イズミちゃんが、赤坂、六本木辺りで豪遊している同じ星の下では、泣いている女の子も大勢いる。
 何も困っているのは、アフリカの土人の子供達だけじゃなくて、日本国内にも未来の消えた苦しみは、山ほどある。
 救えないまでも、せめて希望や温もりを感じさせる様な曲、10曲のうち1曲で良いから、自分の為に作る曲じゃなくて、誰か顔も名前も知れない人達の為に、愛する喜びを伝えて欲しいんだけどな〜〜
 この子達も大人に成った時、男性不信で恋も出来ないようじゃ可愛そうだろ!
 恋の素晴らしさ、愛する気持ち、こう言った女の子の気持ちが大切なんだよ〜
 俺のお経じゃ、シラケテ誰も喜ばないし何の役にも立たないし、こんな事、歌手でもなけりゃ出来ないんだよね〜」
この様に話し、改めて曲作りを頼みました。

彼女は沈黙してしまい、私も『だめか〜〜』と思い、『ん〜〜〜〜』と言う様な感じに成りましたが、漸く彼女は口を開き、
「素敵な生き方ですね、これからも続けて下さい。」と言って来ました。
???、私は思わず目が点に成り、
「・・・イズミちゃん、ボクは怪傑ズバットじゃないから、そんな生活続けてたら、何時か殺されちゃうよ〜」と返答しました。
彼女は、何か宙にいる様な感じで、
「誰かの為に一生懸命に成るって、いいですよね〜
  心が通じ合えれば、それだけで幸せかな? 
  本当は、そうなのかも知れない〜 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
何やら言い出し始めましたが、私には良く分からないので聞き流しました。

どうやら考えがまとまったらしく
「少し時間はかかるかも知れませんが・・・・誰か、みんなの為に心を込めて曲を作ります。
 私の曲で幸せを感じてくれる人がいるなら・・・
 『あ〜ちすと』って素敵ですよね・・・」

私は、『オマエ、さっきから、そう言っているだろう!!!』と内心その様に思いましたが、
「そうです。
  見返りも何も求めず、自ら進んで、誰かの為に自分の出来る事を行ってみる。
  得るものは無いかもしれないが、愛と言う目には見えない力が自身に備わるのです。
  貴女は才能と運に恵まれ、活躍しておられる。
  その力を思う存分、発揮して日本国の発展に寄与して戴きたい!
  それが、日本国の将来を発展させる原動力と成り、未来を開くには、その力の結集が必要なのです!」
この様に申し上げましたが、どの程度彼女の理解が得られたか否かは分かりません。
しかし、彼女は、
「何か分からないけど・・・とっても新鮮な・・・何かが掴めそうな気がします」
こう言う彼女の表情は、実に晴れやかで優しさと明るさで満ちていました。

『彼女が守っていると言う約束』の一つが以上の様な事情です。

 私を知る方々なら、話の真偽を一々疑う者は居りますまい。
況してや、何の恩義も無いレコ−ド会社の肩を持つなど到底有得ない話です。
しかし、彼女を知る者として、一言申し上げておきたい。

@デビュ−当時の話題写真をインタ−ネットで見ましたが、完全に目が死んでいます。
 芸能界には良くある、仕方なしの仕事です。
A彼女は、ご両親からの行き届いた躾をキチンと受けています。
B彼女は、馬鹿ではありません。
 ただ勝気な性格が災いし忠告を聞かずに損をしています。
C感性で解り難い所がありました。

週刊誌等の記事は、全て間違いとは思いませんが、相当に大げさに書かれています。
社会的影響度を考え事実関係をキチンと把握した上で記事にした方が良かったと思います。

次回に続く



2007年6月20日(水)  ZARD 坂井泉水との出会い 6  No.95

 本当は、『ZARD 坂井泉水との出会いC』で終わらせようと思いましたが、彼女に対する誤解が蔓延しているので、知る限りを記そうと思います。
私が固く口外を禁じた事で、彼女は自身の思う所を周囲に説明が出来ず、誤解や反感を招いてしまった節がある様です。
 時間の経過と共に、私の記憶も鮮明な部分とアヤフヤナ所があり、話が前後してしまいますが御許し戴きたい。
ただし、彼女には兵法と仏道の奥義の一部を分かり易く伝授した積もりなので、誰にでも役立つ話だろうと思います。


 私は、彼女に清らかな志が芽生えたものと感じ、非常に嬉しく成り、歌手生活を続ける上で何か迷いは無いかと尋ねました。
彼女は、「私の才能は、何処にあると思いますか?」と聞いて来ましたので、私は
「全く、芸能人らしい雰囲気が感じられない所かな?
  山の手線に乗ってても誰も気がつかないだろう〜?」と即答しました。

彼女と話をしていると、同級生か普通のOLと世間話をしている様で、何か大それた気配は全くしません。
逆に、それが大器を感じさせたのです。
彼女は、何故それが才能なのか気付いていませんでしたから、「何故か?」と尋ねられました。
そこで、私の持論を彼女に言い聞かせたのです。

「先ず、自身の才能を活かすとは、世の中を勝ち抜く為の最大の切り札だから、無闇矢鱈に見せるものじゃない。
 しかし、自身を知ってもらうには、切らなきゃいけない札もある。
 ここを確り押さえて話を聞きなよ!!
 
 イズミちゃんは芸能人らしくないし、俺は全く坊さんらしくない。
 お互いに人からよく言われる事だけど、どうしてか?
 多分、自分の中で、特に意識していないからだろう。

 学者には学者の、ヤクザにはヤクザの、警察官には警察官の、それぞれ独特の雰囲気ってものが備わってくる。
 基本的に人が動く時は、先ず考えて判断するだろう?
 つまり、とっさの出来事以外は、先ず最初に頭を使うから、それが精神に現れ言動と成って雰囲気を作って行く。
 雰囲気が無いって事は、自覚が足りないのか?超越したのか?二つの内、どちらかしか無い事を指している。
 それでも何年かやってみて、雰囲気が出ないとしたら、染まらずにいるのだから、その商売の器を超えた強靭な精神力を保っている証拠、誰にでも備わっている才能とは違うものなんだ!
 別の視点から見れば、普通の人よりも限界点を大きくする事が出来る才能を表すんだよ!
 俺も三年前に、イズミちゃんと同じ疑問を持って師匠に尋ねたら、そう言ってた。
 さて、一番の問題は、それぞれ持ち合わせた才能を如何活かすのかに、成功の秘密は隠されているんだが・・・

 イズミちゃんは、みんなの為に曲を作るって約束してくれたから、極意を教えよう!!
 最初に、何故、強靭な精神力が成功に必要なのか? 実例を出すと・・・

 渡辺美里は、知ってるね?
 俺にとっては・・・友達の友達の友達って、無関係に近い状態だけど同級生の様な感覚かな?
 デビュ−当初、『美里をスタ−にしよう』って目的で、周りが動き出して輪が広がって、俺の所にも話が来た。
 友達が美里に会わせてくれるって言うから、本人に会って話をしたら、さっぱりしてるけど魅力に溢れた奴で、
 『気にスンナよ!これから友達でいいじゃんか!』  な〜んて言って、何処にも飾り気は無かった。
 スゴイ奴だな、もしかしたら、みんなが真似の出来ない大きな事をするかも知れない・・・
 こう思った時、『みんなで美里の夢を叶えてやろうぜ!』って盛り上がって、美里も『みんなの為に力一杯歌う』って
 こう言っていたよ。
 デビュ−曲からずっ〜と続けて、ラジオ局にリクエストしたり、ベストテンにリクエストの葉書を出したりしていたら、
 『My Revolution』が大ヒットして、美里とみんなの夢が叶って嬉しかったけど、美里からのメッセ−ジを受け取れた
 事の方が、俺達には遥かに嬉しかった。
 人生で一番好きな曲。
 
 でもね、月日が経つと人の心は移ろうもので、美里もみんなの為でなく、自分の為に歌いだした様な気がした。
 何しろ、自分一人の才能で成功してしまった様な感じに成ってたから・・・
 それを『進化』と呼ぶか?『慢心』と呼ぶか?受け取り方は人それぞれだろうが、最初の頃とは別人に成ってた。
 みんなの方を見忘れて、芸能人の方ばかりに気を取られるから、肝心な事がお留守に成ったのかも知れない???
 単に盛り上げようと演出をした所で、熱い何かが伝わらないと、みんな段々と褪めて来るし、俺達自身も就職や結婚と
 言った転機を迎えたら、誰かの為に何かをしようとの熱い情熱も余裕も無くなる・・・。
 
 それでも曲に惹かれたファン達は暫く留まるから、勢いは続くけど、曲に惹かれている人達は、何時か新しい魅力を
 感じる『あ〜ちすと』の歌へと心は移って行く。
 俺達は友情の集まりだったから、心が同じ方向にある限り、美里から心が離れる筈無かったけど?・・・

 人間は成長を始めると新しい可能性を求めて脱皮したくなって、カ−ドを切る、そのカ−ドは大概が『初心』なんだ!
 『初心』のカ−ドを捨てる時、何を得て何を失うのか? 自分なりに覚悟を決めないと後悔だけを生む事につながる。
 美里は、『Big』に成りたくて、古いカ−ドを切って、新しいカ−ドを手にした。
 美里の旅立ちに、俺達は何も言わずに見送った。
 そして、俺達自身も自分の為に古いカ−ドを切って、新しいカ−ドを手に入れて旅立を始めた。
 全ては、あるがままの成り行きに過ぎない話さ。

 イズミちゃんも自分の恋愛経験を重ねてごらん!
 現象は違うけど、人の心の原理原則は同じだから、俺の言っている意味は間単に理解できると思うよ。

 もし、イズミちゃんが『お金の為』に歌手を続けたければ、その時は迷わず『初心』を捨てろ!
 もし、『生きた証』を建てたくて歌手を続けるなら、何があっても『初心』を守り続けて、自分らしさを捨てず、迷わず歩け!
 初心を保とうとすると相当な忍耐が必要だから、精神力の強さが分かれ道に成る!!
 自分らしさを貫こうとすると周囲からは『我がまま、身勝手』に映るから、当然摩擦も増えて迷いも起こるが、 それでも
 誤解や反感を恐れず、己の道を歩めるのか?どうなのか? 己の真価が問われる。

 でもね!理想は飽くまでも理想に過ぎない、現実との妥協点が必ず必要に成るものだよ。
 『何処まで己の筋を通し、何処で現実と妥協をするのか?』
 このカ−ドの切り方が、人生の限界点を変化させる作業につながるから、イズミちゃんの志を理解してくれて心を一つに
 出来るスタッフと共に歩む必要が出てくる。
 誰でも一人で生きるのは苦しくて悲しくなる時が必ずあるから、良き理解者は絶対に必要だろ?
 腹を割って話し合えるスタッフは大切にしろよ!
 決して、己だけで全てを動かしているなどと大それた勘違いしたら、ダメ!
 そこから、『驕れる者、久しからず』、下降の運気が出てくるものなんだよ!!
 何もイズミちゃんに限った話じゃなくて、誰にでも言える事だけど・・・

 何をどう選択するのかは、イズミちゃんの心一つだけど、『みんなを忘れたら、みんなからも忘れられる』
 これだけは、真実だから絶対に忘れるな!『約束』だ・・・」

 彼女は、「多くの人達の心を大切にします」と約束してくれました。

次回に続く

 彼女の大まかな軌跡をたどると、彼女は『生きた証』を求め、多くの人に心を届けたくて歌い続けたのだと思います。
それは、私との『約束』を守り通した姿から、他の人には推量れない彼女の気持ちが、私には痛いほど良く分かるからです。
今週末から、彼女と会った時の場所へ赴き、彼女を偲んで来ようと思います。
彼女と見た、私のお気に入りの風景が今もそこにあるから・・・



2007年6月27日(水)  ZARD 坂井泉水との出会い 7

 彼女に『人の世を在りのまま映す鏡』について教えた場所から風景を眺めてきました。
改めて思うと、歌手の『坂井泉水さん』としてではなく、一人の女性『蒲池幸子さん』として会う事が出来たとするならば、
年下の子にとっては、優しい姉さん、頼もしい先輩として映ったに違いありません。
私にとっても彼女との出会いは、新しい発想へと飛躍する『切っ掛け』と成り、改めて大きな影響を受けた事を実感しました。

以下、前回の続き

 続いて彼女は、私の恋愛観を尋ねてきましたが、この問題は、男女差、世代間の相違、個人の価値観などで大きく違い、単純化させるのは困難なので、以後の研究課題として回答を保留しました。
尤も私自身、恋愛関連は管轄外なので、私の方が彼女に『女心』を聞かなければ成らない立場にあります。
『あ〜ちすと』である彼女にとり、恋愛問題は中心テ−マであり様々な角度から、心の動きを描いて行きたいと話していましたが、描き方によっては傷付いてしまう立場の人達もあると自戒していました。

 彼女の関心が最も大きかったのは、人生や恋愛においての効果的な『カ−ドの切り方』の様で、その説明と使用方法を求めてきましたが、簡単に身に付く程、浅い教えではありませんから、その前に、古典文学などに触れ『もののあわれ』を感じ取れる感性を充分育む事を勧め、その感性が十分に磨けたら、作品への活かし方を見た上で伝授しても良いと返答をしました。

私は、彼女の理解の有無は別にして、
「イズミちゃん、この世に善悪の区別、正しい、間違い、そんなもの初めから存在していないんだよ。
 それは、単なる人間の価値観で判断したに過ぎない、全てが真実、全てが必要、不要なものなんて何もありゃしない。
 誰かがやらなければ、別の誰かがやる。
 人の世は、あるがままに移ろう儚いもの、それだけの事!
 イズミちゃんには受け入れがたいかも知れないが、悲しいけど、本来の姿に過ぎない。
 俺がイズミちゃんに、愛や思いやりを歌い続けて欲しい理由も、そこにある。

 誰でもみ〜んな、例外なく人の心には必ず『一匹の鬼』を飼っててね、心の中に住む鬼って奴は、自分だけではどうにも始末の付かない厄介者なんだ・・・死ぬまで飼い続けなきゃならないし・・・
 その鬼達を育ててやるのが俺の使命・・・
 鬼達を慰めるのが、イズミちゃん、アンタの本当の使命だ!
 すごく難しい使命だから、歌えれば誰にでも務まる何て、簡単な事じゃ〜ないんだよ!! 
 他人よりも重い試練を背負わされたるするのは、そうした理由ある。
 俺が何を言ってるのか理解出来ないかも知れないが、遅からず身を持って知る時が来るさ。
 心の準備だけは、しておきなよ!
 丁度、俺にも、その時期が来た様だけど・・・形は良くないが、仕方が無い・・・」
この様に諭しました。

 この時の彼女の表情は、CDアルバム『止まっていた時計が今動き出した』の主題になっている『止まっていた時計が今動き出した』のペ−ジ右側にある写真と同じでした。
 この写真を見る度に、あの時の記憶が蘇り、何とも切ない気持ちになります。
 
この時、私は古いカ−ドを捨てて新しいカ−ドを引こうと考えていた最中でした。
その古いカ−ドを捨てる前に、彼女への餞として、最高の教えを彼女に授けたいと思ったのが全てです。
しかし、彼女には私の心にある只ならぬ気配を感じたらしく、「今、何を始め様と考えているのか?」と詰問を始めだし
私も防戦に絶えられず、胸の内を話しました。
彼女は驚愕していましたが、静かに「馬鹿だよ!」と言い放つと彼女は、私が生き方を間違えようとしていると懸命に食い下がり、彼女から散々叱責を受けました。
私にも解っていましたが、私の方法論は誤りであり、彼女の言い分が正論です。
私も彼女に言いたい事を言っていたら、段々と気持ちもスッキリして、自らの非を認め彼女に謝罪した上で決心は白紙に戻し、第三の選択を行う約束をし、これ以後、彼女を芸名の『イズミちゃん』では無く、本名の『蒲池さん』と親しみを込めて呼ぶ事にしました。
この決心をした時、私は師匠をはじめ親兄弟、誰の言う事も聞く気はありませんでしたから、もし、ここで彼女に決心を止めてもらわなかったとしたら、今頃は・・・ ん〜逃がした魚は大きくて惜しかったかも知れない???

彼女から、
「現在の初心を保ちながら、お互いに昔捨て去った自分を取り戻してみませんか?」との提案を受けました。
しかし、私には彼女の提案に何の意義も感じなかったので、
「俺は、己の決定に対して最善を尽くしているから後悔はしないし、成り行きには全ての責任を取るのが信条だから、過去を取り戻す事は興味が無い、したければ、自分で勝手にすれば良い」
と返答しました所、彼女から非常に痛い所を一気に衝かれ、「目を背けず受け入れる事が大切!」と何時の間にか立場が逆転してしまい、仕方なしに彼女の提案を受け入れました。
それから、半年間程度は自分なりに昔の自分を取り戻す作業を意識的にしてみました。
得るものは、有った様な無かった様な?・・・内心は、良かったと思っています。

その後、私の方は、『初心』を残し彼女に話したのとは違う方法で、新しいカ−ドを手にしました。
新たな第三の選択として考案し成立させたのが、皆さんに良く話しをする経済の持論です。
私が『初心』のカ−ドを捨てずに新しいカ−ドを加えて、それまでの生活では有得なかった経済的要素を中心とした革新的な自説に発展させられたのは、新しい『切っ掛け』をもたらしてくれた蒲池幸子さんの御蔭です。
ただ、彼女とは決定的な価値観の溝があり、私からそれらを埋める気も譲歩する気も全くありませんでしたから、何れ私にとり彼女の存在自体が邪魔に成る日が来るものと察して、初めから彼女とは距離を置く積りでいました。
彼女が、私の腹積りに気がついたのは、相当に時間が経ってからの事だろうと思います。

ここまで彼女とは熱く話し込んだので時間が嵩んでしまい、最後に『才能』の活かし方について話をしました。

次回に続く



2007年7月4日(水)  ZARD 坂井泉水との出会い 8

 27日の青山葬儀場では、4万人以上のファンが集ったそうで、多くの人の心に彼女の心が伝っている事を改めて知りました。
私は演出された彼女に関心は無いので行きませんでしたが、テレビ中継を見ている最中、初ライブの様子を紹介した映像を初めて見て、その時の彼女の服から、あの日の事を忘れず覚悟を決めて歩き出したのだと思いました。

以下前回からの続き

 余計な話を多くしてしまい肝心な『才能の活かし方』について話さなければ成りませんでしたが、彼女は,
「自分の才能について聞くよりも先に、人間の"Soul"について、もっと大切な事を聞きたい!」などと言い出し、私からすれば物事には順序があり、基本を省略する訳には行かないので、
「その話と恋愛の話は、別の機会にするとして、物事には順序があって飛ばす訳に行かないから黙って聞けよ・・・

 何故、才能を活かす事が重要に成るのかと言えば、才能とは自らが天から与えられた使命を全うする為にあると言えるし、
 天からの使命とは、才能を活かし生涯を通して、生を受けた事に対する為すべき事業を全うする事だと言える。
 人それぞれ、使命が違うのだから才能が違うのは当然。
 才能が違うならば、天から与えられている使命も違ってくる。
 自身と他人を比較して、羨んだり、蔑んだり、優越感に浸ったり、こんな事をして何になるのか? 
 子供の時は、それでも良いが大人に成って、使命を果たさなければ成らない立場に成ると、無意味な事だね。
 天に向けて弓引く行為だから、咎を受けて不運を招くのみならず、自身の才能さえも本来の姿を曲げてしまう元凶に成る場合が大方だよ。

 自分が何を為すべきか分からない奴は、自身の才能を知る事は出来ないし、自身の才能を理解していない奴は、自分が何をすべきか見失っている場合が殆どだよ!
 何を為すべきか分からない奴に、天から機会(チャンス)を与えられる事があるのか? 
 与えられる訳、無いだろ!
 天から与えられた機会(チャンス)を無駄にする奴が、事業を全う出来るのか? 
 出来る筈が無いよ!
 『己を知るとは、活きる事を知る』であり、『活きる事とは、己を精一杯表現して行く事』に他ならないからね。

 もし、自身の才能に溺れ我物顔で、欲しい侭の振る舞いをしていれば、何時か必ず天から才能の返済を求められるし、それに見合うだけのツケを払わされる。
 さっきも言った様に、『驕れる者、久しからず』、平家物語も伊達や酔狂で、今日まで語り継がれて来た訳じゃ無い!
 物事の道理、教えってなものが込められての話だからね。
 古典を読めば千円前後で、こんな素晴らしい教えを受けられるのだから、読まなきゃ損だろ〜?
 受験勉強だけじゃ〜ここまで読み取る余裕は無いから・・・
 昔の薀蓄も無駄じゃない、俺も、この目でハッキリと確かめて来たから間違いは無いよ!
 才能なんて、所詮は天からの借り物に過ぎない、これを贈り物と勘違いするから、転がりを起こすのさ!

 何時も考えているけど、日本中の一人一人が、自身の使命を自覚して、己の才能を精一杯活かせる事が可能な社会が実現して行けば、国中の一人一人に生きる喜びが訪れ、国運は尽きる事無く、子々孫々脈々と日本国の繁栄に繋がる筈なんだけど・・・
 現実問題、そこまでは無理な話にしても、才能に恵まれた人達が、伸び伸びと活躍出来る様な社会環境が整えば、日本の先行きは、相当明るさが増すって言うものだけど・・・実現させて行くには、どうすれば良いのか?今の俺には、未だ答えが出ていない。 
 それでも取り合えず、それらしい人の手伝いをするしかないとボチボチ活動を始めて見た最初が、蒲池さんだった訳だ。
 俺自身、今後の課題は山積しているけど・・・

 才能についての概要だけは説明したから、後は蒲池さんの好きにすれば良いよ!
 ソウルについて知りたければ、ガイドブック持って韓国旅行に行った方が気楽で好いだろう」
この様に言って笑うと彼女は、才能の活かし方も教えて欲しいと言う事に成りました。

『才能の活かし方』についての内容は、『カ−ドの切り方』の準備に関する事が多く含まれるので公開しませんが、その中の一つ、ライバルについてだけは少々触れたいと思います。

私の人生で三番目に好きな曲は、大黒摩季さんの『風になれ』です。
大黒摩季さんの歌を聴いて、誰にも真似の出来ない才能を持って生まれて来た人だと、私はその様に思っています。
6月3日に書きました、オカマ達が用意している特別ショ−とは、フィナ−レで大黒摩季さんの『あぁ』を熱唱し私にプレゼントしたかったそうで、この歌詞と私の姿がピッタリと一致するのだと言っていました。
店には行けないと断ったので、代わりに大黒摩季さんのCDアルバム『POWER OF DREAMS』をプレゼントしてくれ、この時、初めて大黒摩季さんの存在を知りましたが、詩を聞いていると同じ感性を持つ人が近くにいるのかな?
この様に感じました。
それはさておき、蒲池さんには、
「ライバルとは、自分と比較する対象とするのではなく、自身の姿を映す鏡にせよ!」と諭し、その方法も具体的に教えてあります。
この前も知人の若手に教えましたが、蒲池さんに教えた事と大体同じものです。
私との話では、蒲池さん自身、大黒摩季さんの才能を非常に高く評価していましたが、蒲池さんの本心は大黒摩季さんに伝わっていなかった様なので、人間関係での不器用な一面が現れてしまったのだろうと思います。
私が大黒さんの才能を高く評価したら、蒲池さんは、「摩季ちゃんのサインが欲しいか?」と聞いてきたので、「必要ない」と返事したら、「変な人〜」と笑われました。
ただ、CDアルバム『時間の翼』で『揺れる想い』を聞いた時、相当に力を注ぎ最高の出来栄えの作品を求めたのでしょうが、バック・コ−ラスで大黒さんとは思えぬ歌声を聞いて、「俺の言った事が理解出来なかったのか?」と、残念に思いました。
これも営業活動なのだから、スタッフの方針や販売戦略等もあり、仕方の無い事だとは承知しているのですが・・・

『才能の活かし方』について、必要のある方々も多いでしょうから、今後は機会があればお話したいと思います。
本来、各人の持ち味を引き出す作業ですから、万人向けの方策はありませんが、「我こそは!」と思う歌手の方がいれば、外為探求倶楽部専用『お知らせ』掲示板の下方左側にある『管理者へメール』から、メ−ルを下さい。
音楽の専門技術は何も知りませんが、才能の磨き方やチャンスの掴み方程度の事は伝授します。
ただし、メ−ルを拝読して感動的な内容の場合のみ、要点をまとめて返信させて頂きます。

以下が掲示板のURLです。
http://8607.teacup.com/daidamonk/bbs

私が、『才能の活かし方』について話し終えると、彼女は「人を信じるとは、どう言う事か?」 これだけは、どうしても答えて欲しいと尋ねて来ました。

次回に続く



2007年7月11日(水)  ZARD 坂井泉水との出会い 9

 以下前回の続き

 『真実の愛とは何か?』この課題も大変難しい事ですが、『人を信じるとは何ぞや』と言うこの課題とは付随しているだけに同じ程度、難しい問題です。
考察するのが難しいと言うよりも、現実を直視する事の方が難しいと思います。
私が扱った相談でも、この様な事を尋ねる中で深刻な話をするのは大概が女性であり、対人関係での悩みを持つ人の多くは、再び『人を信ずる事』への躊躇いを口にします。
人にもよりますが、男性の場合は、10分も諭せば余裕で解決する程度の話なのですが、女性の場合は私が話す内容に対し嫌悪感を抱く様で、話の途中に感情が治まらなくなり、無関係な私までもが悪者扱いされるので話をしたくないのが本音です。
今回も出来る事ならば避けて通りたかったので、「相手の心を本心だと思い込む事だ!」と辞書にある様な女性専用のために作った模範的な回答をしました。
しかし、彼女は納得せず、「本音を答えないなんて、可愛くないな!」などと言い出す始末でしたが、私としては事の成り行き上どうにも仕方がなく、
「蒲池さんには参ったな〜
 お互い可愛げがないのは、今更どうにも成らないぜ。
 俺は他人から好かれ様と自分を作りながら懸命に生きる芸能人とは違うから、他人が何を如何思おうと一々関係無いし・・・」
この時、彼女は、「私は、可愛いもん!」などと言ってきましたが、一々反応すると話が進まないので気にせず話を続けました。

「そもそも、人を信じるって一体何を如何信じるの?
 先ず、現実と理想は分けて考えなきゃ駄目だよ〜

 人の心は条件次第、気分次第で常に変化するし、言葉だって時を追えば自然と変わって行くのが普通だろう?・・・
 形が無くて担保の仕様がないものを如何して信じ切れるものと言えるの?
 第一、相手の本心なんて見えないし本音だって分からないのに、何を期待出来るのかな?
 それを勝手に判断して自分の都合の好い様に解釈してるだけの話なんだから、元々何が起きても不思議は無い話だ。

 例えば、別れ話の本音なんて、
 『お前は、もう役に立たないし魅力も値打ちも何も見出せなく成ったから用済みだ、他所に幸せを探しに行きたい!』 
 お互い体裁良く、こう言い合っているに過ぎないし、早い話、ス−パ−のチラシを見比べて、あれこれ品定めしているのと同じ要領じゃないのかな?
 こうなって来ると、条件の悪い方、見劣りする方が負けて行くのは、初めから決まってる話だろう。
 この状況で、何を如何信じれば正解が得られるのかって? 
 こんなものは、愚問だよ。

 何かを与えてくれれば、何かを差し上げます。
 何かを与えるから、自分の思う通りにして欲しい。
 これって、単なる取引に過ぎないからね!
 取引で得られるものが不利になれば、相手に何も魅力を感じなくなるのは当然だろうし他所に移りたく成るのが人情だ。
 それでも条件に捉われず、信じるに足ると思ったら相手の為に犠牲を強いられても我慢しなければ、何れ関係は上手く行かなくなるのが自然な成り行きってものさ。
 それが嫌なら、信じるなんて無駄な事は、初めから止めておく方が賢いってものだ!
 逆に、相手に対して犠牲を強いてしまう様な場合は、予め何がしかの納得して貰える様なものを用意しておかなければ、信ずるに足ると扱って貰えないのが、世の中の筋ってもの。
 そこを何かの弾みで脱線するから、後からツケが回って、結果が悪いの何のカンのと不足を言う羽目に陥るんだよ。
 人間誰しも他人の都合で生きてる訳じゃないから、全てが御都合主義の妥協に過ぎない話だろう?

 梅干を食べても種まで丸呑みする奴はいないし、仮に種まで丸呑みしても何時かはウンコと一緒に捨てられる運命にある。
 出がらしのお茶を何度も再利用して飲む奴はいないし、バナナは中身を食べたら、周りの皮は捨てるのが普通だ。
 利用価値のないもの、思い入れの無くなったもの、用済みのものは、何時か捨て去ると言うのが、人の世の習いってもの!
 生き方、考え方の善悪は別にして、この事をよく頭に置いて冷静に考えてご覧!!

 『見る事の出来ない他人の心は判断の難しいものだが、その心は何らかの言葉や態度に現れ、生き様に反映されて行く』 
 先ずは、これが大原則だけど、問題は、幾ら言葉や態度が立派でも行動が伴わなければ、その言葉や態度には何の意味も価値も為さ無いのが当然の事じゃないのかな?
 生き様を見た時、信義を重んじない奴を、信用する程の値打ちがある人間と心底から思えるのかい?
 仮に信用するとして、問題が起きても、そんな奴を信じた自分が酔狂なだけで、明らかに自分の責任だろう?
 生き様って言うものは、その人の思想、信条、信念、諸々全ての心が形に表れた行動の結果をさしているのだから、その業績をどの様な評価を下して、納得するのか?否か?
 そして、納得した評価に対して、将来に対する何らかの期待を抱くのか?否か?
 その期待に対し、不測の事態には何処まで犠牲を覚悟出来るのか?否か?

 これが、『信ずる』と言う事の筋道だと思うけど、早い話、
 『信ずるとは、信じた相手の生き様に対して納得し期待した分の犠牲を用意する事』とも言える。
 つまり、『見る事が出来ない心』と言うものだけを当てにするのは危険だし、裏づけの無い言葉に何がしかの期待や喜びを抱くのは阿呆としか、他に言い様がないよね?
 元々、誠意のある人が相手なら、大切に感じている相手に対し犠牲を求めるなんて、余程の事情が無い限りしないだろうし、仮に、そんな場合でも、その理由は納得の行くものだろうと思うけど?
 少なくとも無責任な事はしない筈だ・・・」

ここまで言い終えると、彼女は信用出来ない人の具体的な見分け方を教えて欲しいと尋ねメモを取ろうとしました。
私は、全てが口伝のみで許される秘密門の世界だから、頭脳で記憶して憶えるではなく、心と感情を使って、受けた時の感覚をそのまま体に刻み付ける覚え方を行う様に指示しました。
この方法は、千年以上の昔から伝わるものですが、感情と肉体のバランスを崩しやすいので、強靭な精神力が必要と成り、誰にでも出来る事ではありませんが、習得すると研ぎ澄まされた感覚を得られる様に成ります。
関心のない事は殆ど憶えられませんが、一度覚えた事は何時までも、その時の情景を浮かべる事が可能です。
これが出来ないと膨大な口伝が覚えられないから、古代インドで開発されたものだと思います。

以下、簡単なペテン師の見分け方
 ・物腰は柔らかく親切丁寧、決して反論はしない聞き上手のタイプと相手の心を擽り夢や希望を抱かせる饒舌タイプとがある。
 ・どちらにも共通しているのは、目的が達成されるまで、相手の心を害しない様に細かい所まで気を使い、さらりと献身的な良い人である事の演出が徹底している。
  手のひらを返すのは、利用価値がなくなった時、例えば、お金や品物を渡した後、結婚を言い出した時、用件が終わった時などであり、悪党には思えない様、引き方は体裁よく取り繕いながら去って行く場合が多い。
 ・要求は小さな何気ない事から始まり、次第に大きなものへと発展する。
 ・ケジメがなく、貸し借りを曖昧にしようとするのが特徴。
 ・言う事は立派でも決断を迫ると迷う振りをして、先延ばしにしたがる。
  とかく言い訳が多くて、実行力は殆ど感じられない。
 ・見てくれや体裁には、人一倍念入りに気を使い人目を気にする。
 ・その他諸々
 
「ペテン師と言っても様々なタイプがあって全部当てはまるとは限らないから、見定めの線引きに注意が必要だけど・・・

 相手の事を心から信じたなら、蒲池さんが言ってた様に、全てを受け止めて犠牲も厭わない覚悟を決める事だよ!
 疑いを感じるなら、自分を誤魔化してまでも無理に信じようとせず、自身に納得の出来る事か如何かを基準に判断すべきだし、
 判断が付かなければ、少し距離を置いて様子を見る方が賢いだろう?
 少なくても、その場の雰囲気に流されたり酔った勢いで調子に乗せられたり、こんな状況で判断すべき事じゃないのは確かさ!
 『カモねぎ状態』に成るのは、こんな時に押されてしまうのが切っ掛けに成るのかも知れない。
 中でも優しくて愛情の深い女の子って、この辺りの境界が曖昧だから、不器用で痛みだけを引き受けてしまう場合が多くて・・・
 一度心の傷を負った場合、傷の深さが大きい分、それを埋める以上の確かで暖かく包む様な大きな愛情と理解が必要だから、堕ちてしまうと抜け出すのは、時間もかかるし難しいのが実情だ。
 なかなか、そこまで懐の大きな人を探す事自体難しい注文だろうし・・・
 相手によっては遊び半分でも、ある意味、殺しと同じほど罪深い事だと俺は思う。
 擦れて、仮面を身につけている子でも、その心は何時も渇いていて、渇きを癒そうと懸命に何かを探し続けているし・・・
 例え、それが分かっていても全てが解決する訳じゃないから見捨てなきゃ成らない場合が殆どで・・・俺も辛い。
 でも、世の中、善人だけの紳士淑女ばかりでは、これまた息が詰まるし何の変化も生まれなくて面白くないのも事実だけど・・・
 そんな世の中で、本当に求められているものとは何か?
 日々自問自答していたけど、宗教は人が作り出す有りの侭の世界を見る視野の境界が狭くて限界がある・・・
 俺が言うのも変な話しだが、何れ進化した生活様式の中では、用を足さない信仰は必要なく成るかも知れないと思っている。
 ソクラテス、プラトン、ニーチェ、サルトル、み〜んな悩んで大きくなったってサントリーも言ってたから、そう言う事だろう。

 それは兎も角、世の中捨てたものじゃなくて、もしかしたらと思えるヒントはあった。
 それが、人生で二番目に好きな曲の中にあるのさ!」

次回に続く



2007年7月15日(日)  ZARD 坂井泉水との出会い 10

 今日は、彼女の七七日(四十九日)ですが、カレンダ−の日付は進むものの心の時計は止まったままです。
忌明けの今日を区切りに心の整理をつけ、この掲載を終える積もりでしたが、記載をしているうちに様々な思いが込み上げ、もう少し時間を掛かけて綴りたく成りました。

以下前回の続き

 折角、私の人生で二番目に好きな曲を例に挙げ、一応のまとめを行おうとしたのですが、
彼女は、
「真剣な話をしているのに、受け狙いみたいな事を言って何が楽しいの?
 苦しみの中で必死に助けを求めてる人を見殺しにするってどう言う事!
 他人事だから、関係ないって・・・アナタは間単に言うけど・・・その人達の辛さ、真剣に考えてあげたの?・・・
 人を愛するなんて、偉そうな事言える資格なんてない!・・・
 それで、日本の将来を考えてるなんて威張ったって、誰も信じないから!!・・・
 立派な事言ばかり言って、何も出来ないのはアナタの方でしょ!
 ペテン師と同じじゃない!!
 上辺だけの綺麗事を言って知らん顔しているアナタよりは、夢を与えてくれるだけペテン師の方が、マシ!・・・
 アナタの好きな曲の話なんか聞きたくも無い!・・・」
と怒り出したので、『手加減せず言い過ぎたかな〜』と思いました。

蒲池さんの申し分は、八割方尤もな意見なので、私も返事に困りましたが、
「受け狙いをしていると言う部分を除けば、全て蒲池さんの言う通りだよ。
 どうだい、蒲池さん自身、今ここで真実から目を逸らさず受け入れて見て苦しくて悲しかっただろう?
 他人事の場合は、痛みなんて何も感じないけど、自分がその立場に置かれたら誰でも逃げ出したくも成るし怒りたくも成るさ!
 今、蒲池さんに言われた事、俺自身、何時も自分に投げかけている言葉だよ・・・
 逆に、その事を誰よりも身を持って知ってるから、何かしら伝えられる事もある・・・
 これ以上、ペテン師以下の俺が何を言っても仕方がないから、話はこれで終わりにしよう!」
と言って席を立ち、出した菓子を彼女に包んであげて、お茶を片付け様としました。

彼女は、うつむいたままじっと固まっているので、私は一旦座り直し彼女に、
「帰ったら、お風呂に入った後で、好きな曲をかけて今日の事を思い出しながら、月か星か夜景を見て、ゆっくりと気が済むまで泣いてごらん。 
 酒は飲んじゃダメだよ!
 泣き疲れたら寝て、目が覚めたら何でも良いから食べて、明日は何となく過ごすんだ。
 夕方は、自分の好きなものを、お腹一杯食べて寝る。
 酒はダメ!
 明後日は、何時も通りに過ごせば、数日後には何となく、昔に捨て去った筈の自分が一部分だけど戻って来てる筈だよ。
 魂の傷を直すには、清んだ涙で洗い流してやる必要があるんだよ・・・
 涙は、心に降らす恵みの雨だから、嬉しい時には潤し、怒りを静めて、悲しさを慰めるものなんだ。
 涙で懺悔が済めば、抱えてる罪悪感も段々と消えて行くから・・・
 これが出来ないと何時までも、乾いた心は潤わない・・・
 縁のない人は助けられないのが・・・悲しいけど定めなんだ。

 今、俺に言った心が 、本来持ってる蒲池さんらしさだよ。
 そんな自分、もっと大切にしろよ!

 蒲池さんの人生に責任が持てるのは、ご両親と蒲池さん自身だけ、その他、恋人だとか彼氏だとか友達なんて付属の者共は、何の責任も負えないのが、本当の所だ。
 結婚すれば、両親の変わりに伴侶と言う事に成るが、それでも蒲池さんの人生は、自身の負う責任が大きい。
 人生は、自身の選択と行いの結果を表しているからね。

 もう、二度と会う事は無いだろうが、参考に成ると思う所だけ取り入れれば良い。
 さっき教えた感覚の取り方を少しずつ訓練すれば、ア−チストとしての感性も自然と磨かれてくるから、心配はないよ!
 感情は上手に扱わないと肉体に負担が掛かるから、健康管理には気をつけろよ!
 人気の上がり下がりよりも、心の奥に届く詩を描く様に気を配れば、息の長いア−チスト活動が出来るし、もし結婚相手が見つかった場合は、迷わず歌よりも結婚を選べ、ア−チスト活動は結婚しても続けられる・・・

 泣いてスッキリしたら、今日の出来事は気にしない様にして、早く忘れる事だ。
 そうしないと何かの切っ掛けが有る度に、今日の記憶が蘇って、心が痛み出すから・・・
 ただし、
 ・多くの人達の心を大切にする事
 ・俺の存在と話の内容は絶対に秘密にして、記録にも残さない事
 (2001年以前に知り合った相談者全員に、互いの氏名は伏せ、話の内容は絶対の秘密として守って戴く事にしていました)
 この二つだけは、守って欲しい。
 これで、俺の役目も終わった様だ」

こう言って席を立ち、これで、全ての幕引きが完了したとの思いから、何となく気が抜けて、動こうとした際、不覚にも隣の椅子に躓きコケました。
『最後にコケるとは、しまらねぇな〜』と思い立ち上がり、彼女の方を見た時、彼女が小声で、「○×△□☆い」と言った様な気がしたので、「何か言った?」とウッカリ聞き直してしまいました。
彼女は、うつむいたまま
「ごめんなさい!
 初対面なのに、ここまで考えてくれるとは思いませんでした。
 いろいろ混乱してるから・・・
 二番目に好きな曲の話・・・聞かせて下さい・・・」

私は、彼女の様子を見ていると耐えられそうにも無いと思い、
「蒲池さん、誰でもこんな具合に成るから、気にしなくて良いよ!
 別に蒲池さんの為を思ってしている訳じゃないし、俺にとって、他人事はどうでも良い事だろうって言うのも事実だから・・・
 人生で二番目に好きな曲の話は又の機会にしよう。
 今日は疲れただろうし・・・
 それに、これ以上話すと蒲池さんを月に代わって、お仕置きする事に成るから・・・」
彼女は、僅かに沈黙しましたが、「このまま帰ると二度と会ってもらえない気がします・・・」と鋭い事を言いました。
多分、何を言っても、簡単に引き下がる人では無いだろうから、話を続ける事にして、一旦、休息代わりに私の好きな風景の崖に案内しました。

次回に続く

(追記)
実際に蒲池さんが怒り出した時の会話は、もっと激しいものでしたが、要点だけをまとめて記しました。
蒲池さんの話は、その場、その場での感覚で質問をして来たり会話を交わしたりするので、全てを記す事は出来ませんが御了承ください。
私の言い分は、常日頃からの主張なので、蒲池さんにも同じ返答をしており、長めに記しています。
彼女の場合、話の筋よりも会話のやり取りそのものを楽しんでいて、話は直ぐに脱線してしまい話題があちこち飛びました。
始めのうち彼女は、緊張して硬くなっていましたが、直ぐに打ち解け、話をしていても、感情もそのまま顔に出て表情も豊かで話していても楽しかったです。
初め持っていた印象とは違い、世間で言われるイメ−ジとも違っている様に感じました。
単なる世間話だと表面的な話に過ぎないので、特に問題ないでしょうが、互いに熱く己をぶつけ合うと普通の人では、彼女の感性の鋭さに着いて行けないと思います。
私も熱く語り合う事は大好きですが、なかなか話をしても良い相手が見つからず寂しい思いをしていましたが、彼女も同じ思いだったかも知れません。
彼女と私は同学年ですが、私の方が修行の成果がある分、受け手に回っても何とかなりましたが、彼女を相手にして不足はありませんでした。

彼女が激しく怒り出した大きな理由の一つは、ここに記載しませんでしたが、私の発言で、
「アフリカの土人達は、互いに目を合わせれば戦争ばかりをして鶏と同じだから、自分達の好きな様にさせておけば良い。
 何万何千万死のうと、それは食料と人口のバランスの上に成り立っての事だから、食物連鎖上止め様が無く仕方無い。
 中途半端な繁栄を始めさせて、人口爆発を起こした瞬間から、世界の秩序とバランスは崩壊して収集がつかなくなり、結局は世界中が自分の首を自分で閉めてしまう。
 それより、日本が繁栄して、大企業から中小零細まで潤い、果ては水商売、ヤクザに至るまで、日本中にお金が回って経済成長している方が、皆の幸せにつながるから、自国の繁栄を維持する為の活動の方が遥かに大切。
 土人から脱皮して、秩序ある繁栄を目指そうとする段階に入った時、友人として手助けすればそれで済む」
この様に、何時もの主張をした事に対し。
彼女は、
「何万何千万死のうと仕方が無いとの趣旨は、人の道に外れて、尊敬出来る言葉ではないから取り消せ」と言いましたが、
私は、
「尊敬してもらう必要は何処にもないから、思想信条を曲げる気は無いし発言も取り消さない。
 経済の深い背景が解らないのに、この問題を語ろうとした所で、何の意味も価値もあるか!
 現地が、どの様な事に成っているのか、その目で確かめて来い、悔しかったら争いを止めるように説得してみろ!
 逆に、オマエが捕まって売り飛ばさせれるのがオチだ。
 さっき話した女の子の様な話が、少なくて済む社会を目指す事に貢献して行く方が、世の為人の為に成る」と言いました。
彼女は、悔しそうでしたが、これ以上、この問題に触れませんでした。
この様な話の背景が伏線にあります。



2007年7月21日(土)  ZARD 坂井泉水との出会い 11  No.100  

 企画開始当初から掲載100回記念の時は、何か楽しい事を企画しようと思っていましたが、蒲池幸子さんの追善供養に成るとは、夢にも思いませんでした。

 蒲池さんを案内した崖は、山の中腹が開けた様な所で、30m程度下には県道が走り、丁度、丘の様に成っており、正面は真東を向き、南北に180度以上開けた場所で、標高の関係から下界が一望に見渡せる絶景の場所です。
私は、毎日、この場所に立ち、旭日を浴びながら、日の光が与えてくれる恵みに感謝し日本国の繁栄を祈り、月の出る夕暮れには、一日の感謝を捧げ、月がもたらしてくれる安らぎに感謝し、自らの業罪を懺悔しました。
台風と雪の時は休みますが、雨の日は水の恵みに感謝し作物の豊穣と日本国の繁栄を祈ります。

今でも毎日、太陽と月、雨への感謝と祈りは欠かさず続けています。
これは師匠の「感謝の出来ない者は、先々の見込みが薄く成って行く」との教えによるものです。
この掲示板を読む方々の中には、私が直接、「感謝が足りない」と申し上げた方々もありますが、油断が形に表れ始め、先々の見込みに険難の予兆を示していた為です。

以下前回の続き

 蒲池さんをこの場所に連れて来た時、単に風景だけ見せて気分転換させようか?それとも教えを授けるべきか迷いました。
この時の彼女は、『感謝の薄い人間』にしか見えなかったので、『精々、長く持って5〜6年かな?』と踏んでおり、彼女に対する期待が良かったのか?悪かったのか?計り兼ねていましたが、「どうだい、良い眺めだろう?」と尋ねた所、彼女は、返事をしてきましたが、この返事を聞いて、もう少し深い教えを授けた方が良さそうだと思いました。

私は、東を指差しながら、
「この真直ぐ先が東方、俺達の故郷、関東だ。
 それを更に真直ぐ東に進むとアメリカがあって、その先にアフリカ、中東、中央アジア、中国、結局ここに戻って来るけど、
どこまでも真直ぐ進み続けて、世界中の隅々を見渡して見ても一ヵ所だけ、どうしても見る事が出来ない場所がある。
 それは、自分の背中だよ!
 背中は他人から丸見えに成るけど、自分では気がつかないし、その姿を言われても受け入れられないのが、人の性(さが)の悲しい所さ。
 背中が物語るもの、それは、その人の値打ちってものかもしれない。

 さっき、「人を信じるとは、どう言う事か?」聞いたけど、その答えに満足しなかっただろう?
 あれは基本的な答えに過ぎないけど、あんな杓子定規な事だけでは、世の中で通用しない。
 簡単に言えば、『信じるとは、得心する事』だよ。
 納得して受け入れた筈なのに、背かれてしまえば、ショックを受けるのは誰でも当然の事さ。
 本来、お互いに、それが十分理解できていれば、相手に対する自身の行いに責任を持つ自覚も出てくる筈なんだけど、
 この世で、それが実行出来ている人間が、何人いるだろうか?
 少なくとも俺は、人生で何万人以上と言う人間と知り合ったか分からないが、互いに認め合えたのは、僅かな人しかいなかったぞ!

 だから、得心する前に必要なのが、『相手の背中を見て判断を下す事』なんだ。
 人を見る時は目で見るんじゃない、腹で視なけりゃ何の役にも立たない。
 蒲池さんの様に、向き合った相手の表面だけ見て判断しても、何れ背中にある隠された諸々が透けて見え始めて来た時、相手の事を気に入らなくなるのは当然さ。
 延々、それの繰り返し!
 さっき、『自分は、どうなんだ!』と言われたけど、その通りだ。
 他人の事ばかり論ってみても、己の姿が御粗末なら、相手から信用されなく成って見限られてしまう。

 恋愛だとしたら、誰かを好きに成るのは、人間本来の本能だから実に簡単な始まりだ!
 そこから、やがて、互いに信じ合って愛に変わって行く。
 しかし、何時の間にか、輝きが色褪せて他所を探したくなるのは何故か?
 それは、相手から受け取る事ばかり望み、自分が渡す事を忘れているから、何時まで経っても問題が解決しないのさ!
 『真実の愛』を手に入れたければ、向き合った相手に何を渡せて、何を補ってもらえるのか?よく考える事だ。

 それと自分を見失うのは、自分の背中に重いものを背負いすぎているから起こる場合が多いけど、その時は、幾分かでも手に余る事は、誰かに持ってもらえば良いだろう?
 それを頼りたい相手に乞い願う時、『相手を信じる』って事になるもんだよ!」

この様に言うと彼女は、
「どうして、冷めた言い方ばかりして、今みたいに優しく言えないの、エイッ!」とか言いながら、私の脇腹にパンチをしました。
語り合っている場所が場所だけに、
私は、
「蒲池さん、足元は崖なんだから、悪ふざけしちゃダメだよ!!
 第一、蒲池さんの事を信じる何て一言も言ってないし、教えなきゃいけない恩も義理も無いだろう?
 蒲池さんも俺の事を信じる必要はないし、話を信じる必要も無い。
 互いに、無関係と言う自他共に認める間柄なんだから、当然の成り行きじゃないのか?
 何度も言うけど縁のない人は、助けられない。
 さっさと帰ってくれれば、俺もここまで時間を取らずに済んだから、大好きなアニメの再放送が見られたんだ!」と言うと
彼女に、
「そんな傷ける言い方だと、ぜ〜ったい、女の子にモテないから!!」と言われました。
私は、
「女の子にモテ様と生きてる訳じゃないから、俺には関係無い事だ!
 さっきから言っている、『縁のない人は、助けられない』って言う本当の意味は、100人に同じ話をしても100人が同じ様に受け取れないって事を言いたいんだよ。
 幾ら時間を掛けて一生懸命話をしても、『ヒントを得て実行する人』、『話だけ聞いてる人』、『疑う人』、『その場で忘れる人』、『理解の出来ない人』、『反発する人』、全員の反応が個々別々なのは、各人置かれた立場が違っているから、当然なんだ。
 人にはそれぞれ、持ち合わせた使命と性質があるし、好き嫌い、合う合わない、それぞれ波長も違うから、何が良くて何が悪いのか、一概に言えないのが真実さ!
 それを無理矢理、自分の意見に従わせようと号令した所で、無駄な努力に終わるから、疲れるだけ!
 ダメだったら、本人に全ての責任を取らせれば、それで済む話だよ。
 それより、話をしていて疲れるから、一々話の腰を折ってケンカを売らないで下さい。」この様に彼女に頼むと、
彼女は
「言ってる事は理解できるけど、冷たい言葉を投げかけられると、悲しくなるから・・・
 でも、本気で話せるのは、すごく楽しい♪〜
 こんなに激しく感情をぶつけ合って話しても、何も気を使わずに平気で話せる人って、誰もいないし〜
 何を考えてるのか分からない人だけど・・・嘘は無いから・・・
 それなのに、ドライの振りは×(バツ)。
 どうして、『友達でいいじゃんか!』って、温かく迎えてくれないのかな?」との返事をしてきましたが、
私は、
「受け止められる人が居ないって、それは普段から太鼓持ちや年下のオネエ坊や達ばかりを相手にしてる証拠だよ・・・
 俺も人の事は言えないけど、他人に感情を思い切りぶつけるのは、迷惑に成るから大人のする事じゃない。
 時と場所と相手を選ばないと碌な事に成らないから・・・

 蒲池さん、友達の種類にも『松竹梅』あるから、真の友、単なる仲間、便宜上の友人がいる。
 『真の友』とは喜びと苦労を共に分かち合えるから、本当の友情のままでいられるんだ。
 蒲池さんの言う『友達』って、単なる利用価値の判断で、損得の結びつきが中心の関係に過ぎないだろう?
 『都合の良い人は好き、便利の悪い人は好きじゃない』って言われても、魅力なんか何処にも感じないぜ!」
と彼女からの提案を保留しました。
彼女は、
「でも、何か出会いの切っ掛けは必要でしょ!
 (心の)ハ−ドルが高過ぎると誰も来てくれないし孤独のままで寂しいよ。
 普通の人と違うのは判るけど、(一般の世界に)戻ってみた方が幸せも多いと思うし・・・」
と言いかけましたが、彼女の言いたい事は、別の人達からも言われているので、
私は
「心配してくれて有難う。
 単に意地を張っている訳じゃなくて、準備を整えているに過ぎないから、何れ時期が来れば、方針は換える。
 為すべき時期には果さなければならない事があるから、俺なりに筋を通して納得する所まで行ってみたいのさ。
 俺も自分の好き勝手に振舞っているけど、それでも、腹を割って話せる人は多いし蒲池さんよりは孤独じゃない。
 本気で叱ってくれる人もいるし心配してくれる人もいる、支援してくれる人もいる。

 蒲池さんを真の友として迎えるのは、先ず、みんなの為に心を込めて曲を作る姿を見せてもらって、納得してからにしたい・・・
 残念ながら、俺の目には、蒲池さんが約束を果せる様に映らなくてね。
 これだけの素晴らしい教義を前渡で教えても約束を違える奴は友には出来ないが、約束を果してくれたら、蒲池さんに全面協力して、友達でも軍師でも護持僧でも、俺に出来る事なら、蒲池さんの望む様に仕様じゃないか!」と返事をした所、
彼女は、
「お互い、約束を果せる様に、頑張りましょう!」と嬉しそうでした。

何らかの期待を持つ彼女に、カ−ドを軽く切って反応を見ようと思い、
私は、
「俺は、蒲池さんの成り行き次第だから、どうでも良い事だけど・・・
 取り合えず友人候補として、友情の証に、さっき話した『カ−ドの並べ方』を実演して上げるよ。」
と言い、彼女に幾つかの事を言いました。
(内容は非公開)
彼女の表情は見る見る引き攣り態度も一変して、何かを言おうとしましたが、私は黙って首を左右に振り、彼女を制止しました。

私を呆然と見つめたままの彼女に、
「この程度の話なら、背中に写っている鏡を見る要領さえ掴めば誰にでも出来る『梅』の話だ。
 驚いて声も出なかった様だけど、不思議でも何でもない、カ−ドの操り方さえ解れば、手に取る様に見えて来るのさ!
 そこに、様々なエキスを加えて、更に精製するともっと面白い事が、出来るようになる。
 今の蒲池さんでは、さっき話したカ−ドの切り方は到底扱えないと理解出来ただろう? 
 これらの知識は、戦前まで天子様の為に御授けする教養の一つだったものを解り易く説明しているに過ぎないから、身に着けて損の無い知識だ。
 蒲池さんには、大儀の為に必要な事を話している積りだけど・・・頼りない感じだな〜
 
 いいかい、何時の世でも何処の世界でも、何かを成し遂げ様とすれば、溢れんばかりの熱い情熱と行く手を阻むものは、躊躇う事無く確実に仕留めて行く冷徹さを併せ持つ必要がある。
 嫌な言い方だけど、この世は力の流れが支配する娑婆世界、綺麗事だけでは済まないのも世の習いだから、戦いを上手に治めるには、カ−ドの切り方を体得しなければ成らないのさ。
 何れ時期が来たら、カ−ドの切り方は話しても良いだろうが、普通の人は、目先の損得、自分の欲得だけで直ぐにカ−ドを切るから、多くの場合、各論正解、総論不正解に陥る。
 それは、巡り廻って咎を受けるからだ。
 所詮、人の見通せる事なんて知れたものだから・・・
 蒲池さんも、その身を持って思い知る時が必ず来るさ!・・・」
この様に言うと彼女は畏まり、今までの和らいだ雰囲気と打って変わって、話の腰を折りケンカを売ってこなく成りました。

引き続き、感謝について語ろうと思います。

次回に続く



2007年7月28日(土)  ZARD 坂井泉水との出会い 12  No.101  

 私は、蒲池さんに『感謝について』話すのを躊躇いました。
例外なく殆ど多くの人達は、『感謝』の話をしても意味を取り違えるので、私としては、ここに掲載する事もしたくは無いのですが、成り行き上話を進めます。
話自体は、然程も難しくありません。
『感謝を忘れると自身の都合だけ優先し欲得だけに囚われ驕り昂り、人、物、金、機会(チャンス)を粗末にするから、人、物、金、機会(チャンス)から見放される。』
これだけの事なのですが、『何をどうすれば感謝を表す事に成るのか?』この方策と実行は実に難しいのです。
受け止め方を誤ると返って害に成ります。
何しろ帝王学の基礎を為す柱の一つでもあるのですから、仕方がありません。

前回の続き

 話がしやすくなったので、もう少しだけ肝心な事を教えようと思い、
私は、
「蒲池さん、難しい話をしている様だけど、一つの方向を指している様に思わないか?
 何処かに、感謝を忘れて来ている・・・
 昔捨て去った自分を取り戻すよりも、感謝の心を養う事の方が先だと思うけど・・・

 俺は、毎日ここに来て、日の光に感謝を捧げているけど、別に義務でもないし太陽から感謝しろと要求されている訳でもない。
 太陽が勝手に核融合して、水素からヘリウムに変換された時、熱と光が発生している状況に感謝する必要があるのか?
 と聞かれても返答に困る。
 しかし、恵みに対する感謝の姿勢は、生き様に現れてくる事は間違いない。
 その人の生き様を見た時、『何事も自身だけの実力で成功した』と考える姿勢の人と接して、その人を信用するだろうか?
 少なくとも、俺なら、その人と向き合う必要がある場合、状況に応じた対応しかしない筈だ。
 見返りを期待する人ならば、尚更、この事はハッキリ態度に出てくるだろう。

 一々、人に何かを要求しなくても、太陽の様に自分の務めを果していながら、自然と感謝されている様な姿が、一番無理の無い自然な姿だし、これなら、相手に負担を掛けないから長続きすると思うけど、どうかな?・・・」
と彼女に問いかけると
「言いたい事は良く分かるけど、自分に出来るかどうかは、その場に成らないと分かりません。」
と答えてきました。
私は、
「少なくても、さっき話した、『みんなを忘れたら、みんなからも忘れられる』って本当の意味は、多くの人に感謝を忘れない
 姿勢を保ち続けるって事だよ。
 多くの期待を裏切るような事は、感謝があるとは言い難いだろう?
 感謝を忘れた姿勢は、活動の端々に出てくるから、それを感じたファンは何となく違和感を覚える様に成って、段々と気持ちは離れてしまうから、出来るか?どうか?じゃなくて、蒲池さんの場合、しなけりゃ成らないのさ!
 それが、チャンスを与えてくれている皆に対する礼の心だよ!

 お互いの生い立ちには色々な経緯はあったろうけど、俺達は平均的な生活を送れて教育も受けてこられた。
 少なくとも、町を歩いていて、読めない文字で不自由した事はないし、買い物をしたって、お金の計算も出来る。
 物事の善悪も判断できるし、世間並みな会話なら誰とでも普通に出来る。
 しかし、この世には生まれた時から、正業に就けない運命を背負った者も多い。
 何しろ、漢字と算数を覚えたのは、鑑別所に入ってからだって言うのも驚きの話だろう?
 しかも、俺達より5歳も10歳も年下で、一人二人の例外的な話じゃ済まない。
 小学生の時は、何してたんだ?と聞いたら、給食を食べに行くだけで、その他は喰う為なら何でもしてたそうだ。
 さっき話した土人達と似た様な境遇だろう?

 土人達の場合は、配給の缶詰一缶、穀物一皿で奪い合いをする。
 報道されないだけで、裏では殺し合いも起きている事だろう。
 弱った者から、取上げて食べなきゃ自分が飢えて苦しみながら死ぬだろうし、弱れば自分が取られる側に回る。
 一時的に食料を援助しても根本的な受け皿が出来ていない以上、止め様がないから状況が沈静化するまで流れに任す以外に方法はないのが実情だよ。
 成り行き次第って、言葉が適切かどうかは別にして、ある程度、自然淘汰が進むのを待つって事さ!
 こんな状況で、何が起きても『オマエは悪党だから怪しからん!』って誰に責める資格がある?
 誰にも、そんな資格はありゃしない!
 人の世の何たるかも知らずに理屈だけで馬鹿な空想に耽って満足しているのは、世の中と向き合っていない証拠だ。
 
 それに引き換え俺達は、食料を奪い合って殺し合いもせずに済んでいるし、自分の楽しみを追求する事さえ出来る。
 俺だって、蒲池さんと話をするよりもテレビを見ながら、饅頭を食べようと考えて居たのだから、何とも幸せだよ。
 多くの人達は、気付くか?気付かないか?程度の差はあるだろうが、何処かで、何らかのチャンスを与えられている。
 蒲池さんは、大きなチャンスを掴んで今があるし、俺は、自分を活かしきれてチャンスを掴めたか?どうか?疑問も残る所は
 あるが、それでも自分の嫌な事はしないで済んでいるし、多くの人の事情も大差はないだろう。

 形振り構わず何でも遣らなきゃならない程、悲惨な目に遭わずに済んでいるのも先祖達の努力と両親が盾に成ってくれて、
 社会が受け皿として機能してくれているから、こうしてノウノウと生きていられるのさ!
 チャンスを与えてくれた両親や社会に感謝して、自分の出来る範囲で何か貢献すべきなのは、当然の事じゃないのか?
 こんな基本的な事すら、理解出来ていない様なら望みが無くなるのも信用が無くなるのも当然の成り行きだろう!
 そんな人間に真実の愛なんて見つかる訳ないから、永遠に幻、蜃気楼に惑わされ彷徨うだけだよ。
 感謝の姿は、自分の感じた全てを相手側に映し出す鏡に過ぎないんだから・・・

 蒲池さんの為を思って話をしても受け入れられないのならば、それはそれで蒲池さんの判断だから好きにすれば良い。
 結果は、俺の言う事の方に分があるのは確かだ・・・」
以上の様に、大分厳しい事を言いましたが、
彼女は、
「難しい事も多いけど、人って多くの事に支えられて生きてるって実感します。
 今は、まだハッキリとした答えは持ち合わせていないけど、自分なりに探してみます・・・
 もっと広い世界に目を向けて行かないといけませんね・・・」
この様に返事をして、感慨深い様子でした。

本当は、『月への祈り方』、『風の使い方』、l『心の投げかけ方』、『陰徳について』、を語ろうと思っていましたが、余り一度に話しても覚え切れないと考え、難しい話は次回以降会った時に話そうと提案した所、彼女も次に来る時までに、自分なりの考えをまとめた上で、ゆっくり話をしたいとの事でした。
そこで、元居た応接間に戻り、お茶を入れ直し別の菓子も勧め、今回の会談は、ここで一旦終らせようかとも考えましたが、どうしても、私の人生で二番目に好きな曲の事だけは話しておきたいと思いました。

次回に続く



2007年8月5日(日)  ZARD 坂井泉水との出会い 13

 前回の続き

 応接間に戻り、話を再開しようと思いましたが、今までと違い、蒲池さんは深刻な表情を浮かべているので、余り暗い感じに成られると、息が詰まり話をしていても楽しくないので、
私は、
「蒲池さん、心配しなくても過去を反省材料にして、今後の構築に役立てれば未来なんて幾らでも変えらる。
 要は、何を如何動かして次につなげるのか?
 全ては、それだけの事で自分の所業に因る積み重ねだから・・・
 そんな大袈裟に成らなくても、伸びたパンツのゴム程度に見ておけば十分間に合うよ!
 それより、陰気臭い話は、この位にして、笑える様な楽しい話をしようじゃないか?
 陰気なのは、キノコの栽培所と葬式だけで十分だ。
 俺は、葬式が大嫌いだから、殆どした事がないし・・・蒲池さんの方には、何か景気の良い面白い話はないのかい?」
と聞いた所、少し沈黙しましたが、
彼女は、「ミニ系が好きですか?」と聞いてきました。
私は『みにけ』って何だろう?と解りませんので、問い直した所、「ミニスカ−トの女性が好みか?」との意味でした。
突飛も無く何を言い出すのかと思えば、私が「月に代わって、お仕置きする」と言ったセリフと森高千里のファンであると言った事から、ヒラヒラ系のミニスカ−ト好きだと勘違いを与えた様です。
私は、
「何時も世話になっている人の所に行くと、ここの娘とは必ずセ−ラ−・ム−ンごっこしなけりゃ成らないから、知ってるだけ、遊び始めると既に配役も決められているし、子供達と遊んでいると楽しいから飽きない。
 この娘とス−パ−の中でも何時もの決め台詞をやったら、娘の親から場所を考えろって叱られたけど・・・
 現実に、ツキに代わって、お仕置きする場合もあるのは事実だけどね。

 森高千里は、歌が明るく浮かれていて楽しいから好きなだけで、衣装が好きな訳じゃない。
 それに、ミニスカ−トは見慣れているから興味無い・・・
 千里ちゃんだって、歌詞の中の出来事と現実では、違う世界だろうから、40歳過ぎのオバサンに成った時は、考えも大きく変わって『海に連れて行け!』なんて言うより、『温泉に連れて行け!』と言う筈だし、潤いの無いオバサンが海なんかに行けば、日焼けしてシミ、そばかすに成るから、ビタミン剤飲んだり、肌の手入れに追われて、シミ取りクリ−ムを余計に塗らなきゃ成らなくなるだろうし、その頃には、本人も海には行きたいとは思わないだろう。
 亭主だって、オバサン連れて海に行くより、飲み会やカラオケの方が楽しいと言うのが本音じゃないのか?
 
 蒲池さんだって、詩に描く世界と自分の実生活は違うだろう?
 『夢と現実』、『本音と建前』、『裏と表』、『嘘と誠』、生きて行くには、それぞれの事情で『裏腹』の使い分けがあって当然だ。

 俺の様に真実を見つめなきゃりゃならない者は醒めたものの見方ばかりで、世間の虚飾は通用しないから、底の浅い事は、
 直ぐに先が見えて退屈してしまう。
 何とも夢が無くて楽しくもない損な定めだよ。
 心を色に例えるなら、『冬のひまわり』では、曇り空のグレ−らしいが、俺は紺碧とでも言った所かな?」
と言うと彼女は、「カラオケは好きですか?」と、聞いて来ましたが、
私は、
「俺は音痴だから、歌は歌わないけど聴くのは好きだから、時々付き合い程度には行くけど・・・
 それでも何かの弾みで、歌うとしたらケ麗君(テレサ・テン)さんの歌ばかりで、他の歌は殆どない。
 ケ麗君(テレサ・テン)さんの歌の中では、『冬のひまわり』は世間に知られていないけど、この曲を聴く度に泣いてしまう。
 泣いてる自分が居ると、『俺は、未だ壊れていない大丈夫だ!』って安心するんだよ。
 生き地獄で他人の生血を浴び続けていると心の感覚が麻痺してきて、何時の間にか悲しさや痛みが感じなく成ると情も失せて、心は虚しさで治まり切れなく成る。
 この時、欲得も迷いも罪悪感も何も無くなるし感覚も研ぎ澄まされて、実に不思議な感じに成るけど、それって、イカれた危ない人への入り口だからね・・・
 相談の話を聞く分には、聞かれた事だけを返事だけすれば済むから大した事ないけど、実際に物事を動かそうとする時は、それでは済まないのが現実の世の中で、大切な何かを守ろうとすれば、何処かに歪みが出てくるし 誰かを繁栄させる影には、必ず犠牲が伴っているものだから・・・
 そうやって、矛盾した娑婆世界の表と裏を紙一重の境で往来しているのさ。

 この事は師匠から予防方法やその他諸々教えられているけど、精神での事は本人でないと状況が解り辛いから、早い話何とか自力で切り抜けろって事だし、もし、切り抜けられないと正気を失って狂ってからでは元に戻らないから精神科に行って、それで御仕舞いだ。
 師匠の兄弟子も失敗して、自分で始末をつけたらしい・・・この人の最後を目の前で看取ったのが、俺の師匠だそうだ。
 俺も自分を失いそうになったら、天命は尽きたものと覚悟を決めて、自身の存在意義が失せる前に始末を付ける積りではいるけど、そうなる前に日本の将来に貢献できる何かをして、生きた証を確かめてみたい・・・

 俺達は、方法と程度の差こそあっても似た様な道を歩んでいるから、精神的な上下の波には気を配らないと平常が保て無く成り始めて、身体にあれこれ障害が出て来ると何れ心身全てを犯す・・・蒲池さんも十分気をつけた方が良い。
 アルコ−ルは応急処置な程度にしておけば問題はないけど、基本的には感覚を麻痺させて誤魔化す作用だけしかないから、何れ事態を悪化させて、何処かに破綻を導くよ。
 それより、さっきも言ったけど、自然に心を潤す方法は身体に負担が少なくて済むからから、蒲池さんも心が冷めて来たら、教えた手順通りしていれば、心が破れても元に戻るのが早いし軽くて済む。
 蒲池さんは修羅としてではなく、優しい女性の心を持ったまま生きて欲しい・・・

 蒲池さんは、ケ麗君(テレサ・テン)さんの事をどの程度知っているか解らないけど、俺にとっては孔子様と同じ位に心から尊敬する人だ。
 ケ麗君(テレサ・テン)さんとの経緯は、次回会った時に、ゆっくり話をしよう。

 ケ麗君(テレサ・テン)さんが歌った数多くの曲でも『あなたと共に生きてゆく』は、人生で二番目に好きな名曲だよ!
 諸事情が絡むから、口では二番目と言っているけど、本心では一番好きだ。
 この歌の御蔭で、実際に多くの女性達が救われているもの・・・
 俺の記憶しているだけでも、励ます目的で、この曲のCDを10枚以上プレゼントしたから間違いない。
 そうした中で、離婚を防げた家庭の子供達は悲しい思いをせずに済んでいるから、助かっているのは本人達だけじゃなくて、多くの子供達の将来にも光を灯している事に成る!
 聴いて感銘を受ける曲は、多くの人の支えに成るから・・・

 この時に、必ず『オマエを救ったのは、ケ麗君(テレサ・テン)さんと作詞家の誰かさんだから、心から感謝しろよ!』って言うと、皆は口を揃えて、『大切にします』って返事をして来る。
 俺は、単に背中を押しただけだから、大した事はしてないけど、この人達にすれば、ケ麗君(テレサ・テン)さんと蒲池さんは、神様仏様とでも言った所だろう。
 蒲池さんの知らない所で、蒲池さんは多くの人達から物凄く感謝されているんだよ!」
この様に答えましたが、彼女は非常に驚いた様子で、この時の顔は今も忘れられません。

次回に続く

(追記)
蒲池さんからは、「何時に寝て、何時に起きるのか?」、「酒は飲むのか?」、「好きな食べ物は何か?」、「楽しみは何か?」「洋服は着るのか?」、「何色が好きか?」などなど、意味のない質問を多数受けましたが、大方は何を聞かれたか忘れました。
単なる雑談ならば、幾らでも話せるのですが、蒲池さんからは態度が不真面目だと叱られている経緯があるので、彼女から話をしてくれないと場が持ちませんでした。
真面目な話の場合、私は相手から話してくれるまで必要のある事意外は何も聞かないので、話が続かなくなります。

 昨夜、久々に松田師匠と、ある人を偲びながら一献傾けました。
松田師匠から紹介戴いた元部下の方で、私も大変お世話に成り、来週命日となります。
この企画は、この人の供養の為に始めたものですが、昨夜、この人は白血病を患ったのだと聞かされ大変驚きました。
既に三年も経ちますが、別の事情しか知りませんでしたから・・・
今回記した事と関係するのが、白血病です。
蒲池さんからは、どの様な事があって感謝をされているのか、どうしても教えて欲しいとせがまれ、白血病を患った女性の話をしました。
蒲池さんは、「真実の愛が見つけられて、本当に良かった!」と感動の余り大泣きをしてしまいましたが、私はこの部分をカットして伏せ様と考えていました。
しかし、松田師匠と話していて、例え私の発言が誤解され非難を受け様とも何かを伝えられるなら、それも一つの使命として綴る事にしました。
一連の様々なタイミングが、余りにも合い過ぎるので、これも神仏の御下命なのかと思っている次第です。
松田師匠から、
「蒲池さんに会って見たかったですね。
  きっと、幸せを感じていたと思いますよ!」
と慰めを戴いた時、心の中の何かが融けた様な気がしました。

『フォレックス・ディ−ラ−物語』 (松田師匠とは為替市場では有名な人で、為替市場の事を御教示戴いた方です)



2007年8月8日(水)  ZARD 坂井泉水との出会い 14

 前回の続き

 驚く様子の蒲池さんに続けて、
私は、
「別に、レコ−ド大賞をあげた訳じゃないから、驚く必要は無い。
 この曲も結婚式の餞として良く歌われるらしいけど、もっと盛んに歌われる様になれば、当人達にとっても良い思い出と成るだろうし夫婦中が冷めて離婚を考えた時でも、この曲を聴いて様々な事を思い出せば、離婚を思い留まる切っ掛けに成るかも知れない・・・物凄い力を秘めた曲なのは事実だよ!
 この曲の中は、感謝と喜びに満ちているじゃないか?
 それに、『分かち合う』って言っているだろう。
 これが、人として真実の愛を形に表現した姿だ。

 だけど、これが口で言うほど簡単じゃないから、争いや憎しみ優越感と言った苦悩や煩悩を生んで、目の当たりの現実を作り上げているのも事実だ。
 俺自身も解脱している訳じゃないから、蒲池さんの事をトヤカク言える資格は無いけど・・・
 蒲池さんには、分かち合いの大切さを詩にして歌い続けて欲しい。
 そうすれば、何時か多くの人の心に届いて、世の中にも優しさや思いやりが満ちてくるかも知れない・・・
 そう信じて進めば、夢も広がるし多くの人達の幸せと蒲池さん自身の幸せと満足につながる筈だ。
 無理だと思って諦めたら、それ以上先には進めない、そこで終わる。

 事の大小はあるけど、人にはそれぞれ何らかの事情を抱えているものだから、明るく前向きな気持ちに成れる何かを求めているものなんだよ・・・自分だって同じだろ?
 蒲池さんには、多くの人達に大切なものを届けていると自覚して欲しい。
 その意味から言うと、現状では誰かにCDをプレゼント出来ない状態だ。」
この様に言いましたら、少し沈黙の後で俯きながら、
彼女は、
「何を言いたいのか、理解出来ています。
 多分、『どうして、最後まで受け止めてくれないの?』って、メッセ−ジを込めた作品の事だと思います。
 でも、それは、多くの男性達に向けたメッセ−ジなんです。

 さっき話してた、仮面を身につけた心の渇いる女の子って、私の事でしょう?
 解ってるけど・・・何も無ければ仮面なんて、必要ありません・・・
 偽るのは嫌、本当の自分のままでいたい!
 多くのものを捨てながら、夢を実現しよう、遣らなきゃならない、自分なら出来る・・・
 苦しくても夢の為に我慢しよう、辛くても夢を守らなきゃいけない・・・
 何度も何度も嫌がる自分に言い聞かせて・・・私の心も紺碧です。

 真実の愛を見つけたいのは心を縛る何かから逃れたいって、必死にもがきながら探しているから・・・
 きっと過去に置いて来た大切なものが埋まらず、そのままだから・・・そう思います。
 捨てたくて捨てた訳じゃありません・・・
 夢が叶えば、捨てたものも何時か見つかる筈だって・・・
 見つかったと思っても、何かが違って・・・何時も何かが違っていて・・・
 ・・・どこかで違うかも知れないと思いながら、愛されていると思い込む様にしていたのかも知れない・・・
 『冬のひまわり』と同じです。
 夢を叶える為に、捨てたものが痛みに成って・・・それでも、何時か見つかる筈だって探すけど・・・我儘なんでしょうか?

 女性なら誰でも、『ありのままの全てを受け止め愛して欲しい』って、心から願っています・・・
 誰でも自分の愛を受け入れて欲しい筈です。
 だけど、何時の間にか全てが変わっていて・・・」

私は、彼女の苦悩など取るに足らない小さな事だと思いましたが、頬を伝わるものがありました。
彼女は、
「私の為に、泣いてくれるんですか?
 嬉しい・・・
 初めて手紙を読んだ時、馬鹿な人って思いました。
 何も分ってないくせに!・・・って
 でも、気に成って何度も読み直したら、気が付きました。
 この人は知ってる・・・そう思いました。
 心の奥で、真実の愛なんて何処にも無いと思っていたのは、私の方かも知れません。

 ・・・会った瞬間、直ぐに解りました。
 どこかで、真実の愛を見てきたなら、話して戴けませんか?
 私にも真実の愛が掴めそうな・・・何かが変わりそうな気がします。
 どの様な事があって感謝されているのか、教えて下さい。」
彼女に、話して欲しいと乞われましたが、迷いました。
余計な話は無しにして、概要だけ説明したら、後は自分で探しながら得心して欲しかったのです。
私は考える時間を稼ぐ為に、「ハンカチを取ってきます。」と言って、一時退席をしました。

私には、聞いた話は特別な事情がない限り、本人の同意がない限り、口には漏らさないと言う掟があり、本来は彼女に話す訳には行きません。
しかし、私が関わった人達が彼女の作詞した歌で救われているのは事実なので本当に迷いました。
そこで、具体的な事には触れず抽象的な話に作り変えながら、余命短い白血病の女性の話を語る事にしました。

次回に続く

もう少し記したかったのですが、思い出す度、胸に込み上げて来るものがあり、キーボードが濡れてしまうので、次回にします。

(追記)
今ここで、蒲池さんの事を掲載するのは、彼女が必死に築き上げた夢に対する誹謗が目に余ったからです。
女性一人で芸能界と言う魑魅魍魎の住む修羅場で夢を叶える事が、どれ程大変か多くの人達には理解出来ていません。
口の利けなくなった彼女の気持ちを誰かが話さなければ、誤解されたままで不憫です。
本当は、彼女を良く知る人達が話してくれれば一番説得力もあって良かったのですが・・・残念です。
私の所業は、あの世へ行った時、彼女に会って謝ろうと思っています。



2007年8月11日(土)  ZARD 坂井泉水との出会い 15

 前回は終える区切りが悪かったので、今回は少々読み出しの背景が解り難く成っています。

 前回の続き

 私もこの話をするのは辛く出来れば避けて通りたかったのですが、蒲池さんに伝わるのもがあり、その種が皆を潤す大きな樹に成長してくれれば本望だと思いハンカチとチリ紙を持って席に戻りました。
ジッと見つめる蒲池さんに、
私は、
「本来は、聞いた話を漏らさないのが掟だけど、この人も『あなたと共に生きてゆく』で励まされた一人だから、きっと許してくれるだろう。
 白血病を患いながらも二人で支え合って短い生涯を全うしようとしている新婚夫婦の話をしよう。

 その前に、心の色の話だけど、蒲池さんには誤解があるようなので、ハッキリさせて置きたい。
 俺の心の色が紺碧と例えたのは、悲しみにくれた色ではなくて、深く澄んだ空と海の心境だと言いたいのさ。
 表面的には、嵐があろうと波風が立とうと雲が切れて晴れれば、その向こうには、常に澄んだ紺碧の世界が広がっている。
 それは、どの様な状況でも変わる事のない陽の光が常に差しているからだよ。
 何物にも染まらず、あるがままを捉え成し遂げる覚悟の境地を言いたかっただけで、蒲池さんの様に悲観したものの見方はしていない。
 心に灯す陽を絶やす事無く歩めば、何れ紺碧の心境に辿り着く。
 こうなると何事も簡単に割切ってしまうから、楽しめる事が殆ど無くなって面白くないと言う意味だよ!

 蒲池さんの場合は、悲しみのボンヤリした白に希望の薄い灰黄色・・・干乾びたタクアンの様な感じだろう。
 もっと、自分を表して、悲しみのボンヤリした白に蒲池さんが持つ鮮やかな赤を加えて、希望を得た明るいオレンジ色に変えて行かないと本来の自分を失い易くなる。
 そして、与える事を心がければ鮮やかな赤が更に増して鮮やかな朱になるし、変に染み付いた淀んでる黄ばみの雑色を希望の輝く澄んだ黄色に変えて行けば深紅に成って、明るく幸せに向かう女性の色に生まれ変われる。
 化粧本来の持つ意味合で口紅の紅色には、そう言う深い意味合いを含ませながら口元に曳いていたものなのさ。
 現代では、紫、緑、茶なんて悪魔か病気色の口紅も見受けられるが、不運を招くから好ましくない。
 何事も配合次第で変化して行くけど、この配合を自分でするのか誰かに頼むのか、そこで色彩具合は大いに違ってくる。
 今の蒲池さんに言っても理解するのは難しいだろうから、又の機会に色彩の操り方も教える事にしよう。」
この様に言うと
彼女は、
「絶やす事無く心に灯す陽とは、教えとか信仰とか宗教で、得られるでしょうか?」
と聞いてきたので、私は呆れて
「蒲池さん、寝ぼけちゃ〜ダメだよ!
 人を助けられるのは人、自分を助けられるのは知恵と勇気と誠を持ち続ける自分しかいない、それが真実だ。
 心に灯す陽とは、信念や真情の輝きで、自身の生き様に対する輝き具合とでも言った所だろうか?
 物事は何をどう使うのか?それが一番のポイントで、教えも信仰も宗教も単なる手段の一つにしか過ぎない。
 俺は自分に役立つ知識を吸収できれば、それで十分だと思っているから、他人に対し信仰など一度も勧めた事がないし、今後も勧める気なんか更々ない。
 第一、良い歳をして、お金の取り合いで夫婦喧嘩をして、奥さんに殴られ鼻血を出し過ぎたあげく貧血を起こして救急車で運ばれた偉〜い人もいる。
 それでも三人前以上の事を平気で言っていられる厚顔なこの世界に、救いがあるとは到底思えないから、他人様に説教をする資格なんて無いと思っているのが本心だよ・・・
 もし、救いなんて気の利いたものがあるとするなら、この夫婦が真っ先に救われていなければならない筈だからね!
 事情は何処に行っても同じ事で、理想なんて飽くまでも空想にしか過ぎない。

 俺は、蒲池さんに対し誠を持って接したいから、嘘は言わないよ。
 その代わり生き方の方針は全く変える気がないから、気に入らなければ来ないでくれ。」
この様に言うと彼女は、くすくす笑いながら、
「誰もついて行けないだろうけど、すごく絵になってるよ〜
 私も心の色を変えて、前に進みたい・・・きっと出来そうな気がする〜
 解った〜、それに必要なのが、『カ−ドの切り方』でしょう?・・・そうなんだ〜・・・
 手伝ってくれますよネ!・・・あ〜、その目は絶対『ウン』って言ってるゥ〜♪・・・」
とワクワク目を輝かせる子供の様に話しかけてくる彼女に、『この人には、参ったな〜』と思いました。
私は、
「ん〜お姉さんタイプと甘えん坊タイプを使い分けられると、参いるね〜
 今は甘えた感じで話しているけど、普段は相手の腹を読んでは先手を打って行くから、接し方が全く違って逆だろう。
 油断していると後ろから、ビシビシ鞭が飛んできそうだね?
 蒲池さん、それをするから皆は息が詰まりだして去って行くんだよ!
 俺も同じだけど、その能力は一般社会や男の世界では疎まれやすいから、気をつけなけりゃダメだ。
 今日は建前上、互いに名前すら知らない者同士のままなのだから、手を貸すかどうかは答えられる状態じゃない。
 事が始まる前から、そんなにワクワクしていても縁がなかったら、期待が大き過ぎる分、反動のショックが大きいだろう!」
と言うと、彼女は自身たっぷりに、「大丈夫、ぜ〜ったいに見捨てられないもん!」とニコニコしながら答えました。

この時点迄に彼女の持つ『諸刃の剣』に気がついていましたが、約束さえ守られれば問題ないと考え話を先に進めようと
私は、
「そろそろ本題に入ろう。
 ただし、俺には、人から聞いた特別な話は、口には漏らさないと言う掟があるから、これから話す事も喩え話として聴いて欲しい。

 A師が散歩から帰る途中、年配の夫婦に呼び止められ、話を聴いて欲しいと頼まれた。
 A師は話を聞くより、おやつのワラビ餅が気に成っていたから、『今は忙しいから、他の人に相談してくれ』と断ったが、
 どうしても話を聞いて欲しいと縋るので、その場で話を聞く事にした。

 話の要約はこうだ。
 この夫婦の娘が、会社の健康診断で異常が見つかり、精密検査をしたら白血病と診断された。
 症状は出ていないものの治療方法が確立されていないから長く持って3〜4年の寿命しかないとの医者の診断だ。
 娘は婚約中で、幸せを喜ぶ娘に事情を話す言葉が見つからないし相手側にも何て説明すれば良いか途方にくれている。
 一番の問題は、婚約をどう扱えば一番具合良いのか?
 と言う事情なのだが、A師を密かに尋ねた目的は、娘の先行きの相談ではなく、藁に縋る思いで娘の白血病を治して欲しいとの依頼だった。
 A師は魔法使いではないから、『娘は助からない、諦めろ!』とだけ言い残し立ち去ろうとしたが、この夫婦は泣いて縋るものだから、仕方なく三つの選択肢を提示した。

 @娘に因果を含め諦めさせる。
  娘は病苦と破談の二重苦を味わうが、相手の男性は別の人を探せるし金銭的、労力的に負担が無くて済む。
  男性の実家も厄介者の嫁を取るより、早く人生を遣り直して欲しいと願うのが本音だろう。
 A両者妥協して、婚約は事実上解消するが、彼は彼女が死ぬまで看取る
  周囲にとっては、これが一番無難な落とし所だが、もし彼が彼女の闘病途中に気が変わり別の人を好きに成って、彼女を捨てた場合、彼女は@の時よりも苦しみながら恨みを残して死ぬ事になる。
  もし、彼女が諦めて彼の将来を考える場合は、自然と@の形に治まる。
 B周囲が理解して手伝いながら結婚させる。
  彼女にとっては一番良い幸せの形だけど、彼にとっては負担が大き過ぎて、将来に傷を残す可能性が高い。
  彼女も幸せだと死に対する恐怖が大きくなってしまう。
  結婚で生活環境が激変するとストレスなどにより、病状の進行が速まる危険性が高いので医師も止める。

 何をどうした所で、選択肢は三つしかない。
 父親は、娘が不憫でも先方の事を考えれば@だと言うし、母親はせめてAにしたいとの願いだった。
 A師に相談する前にも数ヶ所で相談したが、大方の意見はAの方向だった。
 A師は、三つの選択肢を紙に書いて、婚約者の男性とその両親に説明し何番を選択するのか回答を聞いた上で、頃合を見ながら、娘に真実を告げ残りの人生をどの様に送りたいのか?本人の希望を聞いて、後は成り行きに任せて処理する様アドバイスした。

 あらましは、以上の様な事情で結果はBに落ち着いた様だけど、もし、蒲池さんが当事者だったら何番を選択する?」
と、ここで蒲池さんにも問うて見ました。

次回に続く

(追記)
この度は、本題と関係ないので『化粧』の話はカットしましたが、蒲池さんは大変興味を持った様です。
一例を挙げるとオカマの中に、パタリロに出て来るバンコラン少佐の様な化粧を施した者がいましたが、化粧の色彩具合が悪く、2〜3のポイントを教え改めさせた所、恋人の男が出来たり、ヒイキ筋が増えたり、小さなラッキ−が続いたそうです。
私は、世の中が変に成ると困るので、元のバンコラン少佐に戻させた所、男が逃げたり空き巣に入られたりと今まで同様、小さな不運が続きだしたので、バンコラン少佐風の化粧は止めてしまい、私の言った様に再び直してしまいました。
私の経験では、女性で小さな不運を呼び込み易い人には幾つかの特徴的傾向があり、総じて、ワラジムシの様な化粧を施している場合が多い様です。
ワラジムシの様な化粧とは、中々言い表すのは難しいのですが、特徴を消すボヤケタ化粧とでも言った所でしょうか?
本人は気に成る部分を隠そうとするのでしょうが、折角の良さを失っている場合も多く返って逆効果を生んでいる事に気がついていません。
つい最近も化粧の仕方を教えた人が、運が良くなったと喜んでいました。
同じ費用と手間隙を掛けても化粧の仕方一つで運の流れに影響するので、女性の方々には上手に描いて明るく美しい自己表現を心掛け幸運を掴んで戴けたらと思います。

他の女性を褒め始めると蒲池さんは、直ぐに話題を変え様とするので話しませんでしたが、ケ麗君(テレサ・テン)さんと初めて会った時、その美しさに見蕩れてしまい照れて声も出せず、シドロモドロで何を話したのか良く憶えていない程でした。
お化粧の調和の取り方も絶妙で、その雰囲気は何とも表現の仕様がなく、一目見て相当に優れた道士が就いているものとの印象を受けました。
再会した時、私の事を鮮明に憶えていてくれて、歓迎してくれた事には大感激しました。



2007年8月15日(水)  ZARD 坂井泉水との出会い 16  No.105  

 (余談)
 ここを書き始めたのは13日ですが、毎年旧暦のお盆には、縁のあった故人を偲び感謝と誠を捧げています。
今年は、蒲池さんと仏門の師匠が相次いで加わり、普段は冷徹な心に悲しみの雨が降り出したまま止みません。
今の私は、ここ数年間の反動を受け、ツケを払っているのでしょう。
8月8日(水)に彼女の気持ちの一端を書きましたが、その後に起きて来た彼女の軌跡と似た様な境地だろうと思うと余計に自身を突き動かす何かが生まれて来ます。
彼女の求めに応じ、その場で友として迎えていたならば、悲しみはあったにせよ後悔はありませんでした。
そのあたりの事情は、追々話を進めて行く事にします。
仏門の師匠については、何も後悔を残していませんが、深い悲しみがあります。
約17年間師事したのですが、褒められた事は4回しかありません。
叱られた事は数え切れないほど、習字の文鎮で殴られた事もありました。
師匠は450名以上の僧を直接指導教育し法門を導き、1,000名以上の僧に何らかの形で伝授や伝法を行い、その他諸々を含めえると千単位で人数は分らない程の縁者がいます。
その様な中で、一番叱られ一番褒められていない私が唯一人だけ、師匠の付法相承血脈と印信を許されました。
私は、この偉大な師匠の背中を追い続けて歩みましたが、何を意図した事なのか師匠の心中を計り兼ねたままでいました。
この時、30歳で蒲池さんと知り合う二年前の出来事ですが、今でも振る舞いは当時と変わらず一番意に反した行動です。
3年前の事、師匠が私に遺言だと思えと、
「止まるな、迷うな、たじろぐな、枠に捉われず踏み越えて先に進め、蓮華は汚泥に染まらず、お前も同じや!」
4回目最後に、褒められた時、師の器にある水を全て受け継けたのだ知りました。
「人は己の器以上に大きなものを手に入れる事は出来ない。」
師匠の口癖でしたが、最近、その意味が身に沁みています。

今月の4日に、松田師匠と一献傾けた時、私の輪郭がボヤケテ見えないと言われました。
松田師匠だけでなく、蒲池さんを含め多くの知人達にも良く言われた事です。
この掲示板を読む知人達は殊更、私の横顔の一部に気づかず驚きの様子で、
「どうして言わなかった!」、「見て見ぬ振りをしていたのか?」、「お前、何時からそんなに偉くなったんだ!」などなど様々言われましたが、話す必要が無かったから言わなかった。
それだけの事です。

6月24日の夕方、蒲池さんと語り合った崖に人知れず赴き、彼女を偲びに行きましたが、翌日、私を可愛がってくれている兄弟子と5月訪問以来1ヶ月ぶりに会い、遺言を伝え師匠直筆の血脈相承の証文と印信を見せた所、
「親父(師匠の事)に無理やり、書かせたんやろ!!信じられん!!!」と言った具合で、確かな証拠が目の前にあっても、義兄弟にさえ信じてもらえないのですから、如何に日頃の行状から人徳が足りていないのか痛感しました。
もっとも、通常では有得ない話であり、この話が表沙汰になると面目を失う人達が多過ぎて収拾が付かなくなるから、師匠が亡くなるまで堅く口外を禁じられていたと言うのも本当の所です。
印可され11年も経過して初めて見せたのですから、仕方がないかもしれませんが私自身、疑念を抱かれるようでは、反省しなければ成らない事も多い様です。
私にとって称号や肩書き、位など意味のない、どうでも良い事なので気にも留めていなかったと言うのが本音で、何か特別な事として捉えてはいませんでした。
他人と付き合う時にも、相手側の称号や肩書き、素性など一々面倒な事は気にしていません。

恐らく私の素顔を知る人は、仏門の師匠、呪術の師匠、軍略の師匠、商業の師匠の4人しか居ない筈で、親兄弟ですら本当の実態は知らない事の方が多いと思います。
因みに、全員元軍人であり、その道の大家ばかりです。
師匠達は、何処までも私の事を理解し才能を伸ばそうと惜しみなく知識と経験を授けてくれ、深い慈しみと大きな期待を込めながら育ててくれました。
深い絆と大きな愛情で結ばれている師弟関係でしたから、師匠達の持つ全てを素直に受け取れたのだろうと思います。
今は、私の素顔を知る人が誰も居なくなってしまい、切ない思いでいっぱいです。
蒲池さんも「自分の素顔を理解しようとしてくれる人が誰もいない」と語っていましたが、その気持ちが良く分かりました。
単なる世間話ではなく、何かを遣り遂げ様とする時に自らの心情を話せる相手が居ないと言うのは実に寂しい事です。

この度、記した内容は当たり障りのない事ばかりだと自分では思っていましたが、そうではない様なので驚いています。
蒲池さんにも言いましたが、この程度の内容は単なる予備知識に過ぎないから、当然の事であり奥深い所は何処にもありません。
私が常々思うのは、『現実的な役立つ話でないと意義がないのではなかろうか?』と・・・
架空の作り話やインチキ話は、小説や漫画で十分事足りるし哲学も本を読めば取りあえず間に合います。
しかし、所詮は世間の荒波に耐えられない役立たず、理外の理が働く人の世で通用するものとは言い難い。
今回、掲載している事柄は、世間で通用するものだけだと思いますが、私の持論が多くの人に理解されるか否かなど、何の興味もありません。
ただ、これらを伝える事により彼女の秘めた思いが多くの人に伝われば、それが、彼女にしてあげられる唯一の供養だろうと思っての事です。

今回は、余談が長くなりましたので、8月11日の続きは次回にします。




















































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